「文芸中部」107号(東海市)

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2018年2月16日 (金)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「続・文学館のこと」三田村博史】
 前号で名古屋に文学館を作りたいという話を書いたら、反響が多かったという。しかし、河村市長に手紙を書いてもナシのつぶてとか。お役所相手で話が進まない現状を嘆く。
 本誌で三田村氏は、「杉浦明平・初期作品(愛知縣豊橋中学時代)の散文・短詩・和歌などを掲載している。
 【「ジャングルまんだら」大西真記】
 小説を読む面白さの要素に、日ごろの生活から離れた非日常性の世界を、家に居ながらにして味わえることであろう。その意味で、この小説はそのまま、面白く読める。ゴンドワナ共和国10日間ツアー」に女性でメンバーを作って参加する。50代から60代の女性グループの熱帯ジャングルツアーとなり、ガイドからグループがはぐれてしまうハプニングで、サバイバルな野宿生活を強いられる。
 メンバーのそれぞれの家庭事情が少しずつ明らかにし、ベジタリアンを超えた強度の菜食主義の女性などのキャラクター、地元の野生猿ファビーを飼ったりする状況が描かれる。
 やがてこの国の軍隊に救助されて、一行のサバイバル体験は終わる。ジャングル生活などは想像力をもって細かく描かれている。書くのは大変だが、所詮は観光旅行のスリル体験記となる。日常生活も大変だが、元気よく生きていこうという意味か。
【「能の虫」和田和子】
 大学の登山部の活動で、四人が小さな山に登る。藪の中をかきわけて、いわゆる藪こぎをする。すると、皆が虫やマダニに食われる。なかにはダニの毒がまわって、入院することもある。心や能にも虫が入って、神経を侵されるイメージにつながる。現代人の神経症的傾向を表現したものであるのか。スクールカーストとかの、話題もでるが、どれも意味をもって繋がるような手掛かりが得られない。読んだ時は、何か理解できたような気がしたが、こう書いてみるとよくわからない話だ。
【「里山」吉岡学】
 父親刑務所にいて、将棋好きだったらしい。その息子のぼくが里山の近くにいた老人と将棋に話をする。あとは将棋にまつわる人々の将棋談義が描かれている。将棋好きには面白いのかも。
【「ゴーレム・ゴーレム」西澤しのぶ】
 金崎文人という小人口が、カフカにあこがれ、カフカの生活した町、プラハに行く。両替をすると、大金を二足三文で換金され、一文なしになる。その後、カフカの小説のような、奇妙な体験をする話。カフカへのオマージュか。
【「思い出の九月」朝岡明美】
 看護師をしていた頃の恋人関係の男との成り行きを、還暦になって思い出す。思い出話にしても、重点がない。性的な関係をあっさり描くのは手法として、村上春樹のいくつかの作品にあるが、性的な男女関係がるから話になるので、それを無意味化するのは、つまらない。
発行所=〒477?0032愛知県加木屋町泡池11?318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:文芸中部

2018年2月11日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「アンソロジーできちゃった!」高原あふち】
 文学性のある作品ばかりが毎回満載の本誌だが、このほど同人30人による「アンソロジー」の出版にこぎつけて、第五回文学フリマ大阪(堺商工会議所)に出店したとある。私は、運営の善積健司氏とは東京のフリマで会っている。おおよそ、見ず知らずの同人誌をみて、通行人にそれを渡したらどう読むか、という視点と、同時に自ら書く立場からそれをどう受け取るかという姿勢での記録の意味で、作品紹介を続けていた。
  そのなかで、文学フリマで大塚英志氏と出会ったのである。今回のフリマ大阪ではアンソロジーは、12冊が売れ、「アルカイド」62号は6冊など23冊が売れた。木村誠子「ワルシャワの心臓」、住田真理子「ハイネさん」が完売したという。
 私の経験では、マーケットの日柄によって、売れ行きが異なり、一冊しか売れなかったこともある。かと思えば、見本誌まで買かわれてしまい、改版本を出すのに、印刷所に見本を出せなかったこともある。文学フリマで売るようなら、自分の紹介も必要ないかな、と思ったりする。同人誌の課題は、同人以外の人が読んだらどう読まれるか、ということだからだ。
【「越境」清水公介】
 28歳になった私が、これまでの人生であった幼少期、青春時代の記憶が広がる。文体に文学的表現力があるので、洒落た読み物になっている。筋のようなものはなく、とうぜん終わり形のような、終わりはない。自己肯定へのロマンが、自己嫌悪への意識を作りだすのだが、文章技術的にその対比のコンストラストが弱い。そのために文章力の巧さが生かされていないのではないか、という感じがした。こういう作風は、日本ではあまり多くないので、貴重だが、ここでは小さな流れが、大きく広がるための序章ではないのか。世界観の思想的な深みを高めることで、今後が期待できそう。
【「ふるさとの山河」高畠寛】
 大平洋戦争の敗戦前後の関西での少年の生活記である。1945年3月13日に大空襲があり、工場地帯であったため、徹底的に叩かれる。その時、小学三年生になる前の邦夫の行動で、敗戦後の一種皆貧乏という平等社会の子供の生活が描かれる。
 こどもだから、空襲でどれだけの人が犠牲になったか、などということは頭にない。クズ鉄拾いや、埋もれた物資を探し当てては、お小遣いにする。焼け跡こそが、少年たちの故郷へでもある。
 書きなれた自然な筆力で描くと、こんなに活き活きと少年期の世界が表現できるものかと畏敬の念を持った。
 作者は自分より年上のようだが、その記憶でも東京の京浜工場地帯で、似たような状況であった。屑鉄を売って銭湯に行く話を短編にした。それを、今は亡き秋山駿氏に読んでもらったことがあるが、「箸にも棒にもかからない、と言いたいが、それよりはちょっとましかな」と笑われたものだ。
 本作では、焼け跡から立ち直ろうとするなかで、ジェーン台風が襲来する。すべてが水につかったなかを邦夫が、手作りの筏で広い水に浸かった地平を眺める。なんと清々しく澄んだ光景なのだろう。
 閉塞感に包まれた現代では、破壊的災害の描写にもかかわらず、気持ちがすっきりと吹っ切れる感じがした。なるほど、そうでもあるな、このように書くべきだったのか、と感慨にひたることになった。
 発行所=〒545?0042大阪市阿倍野区丸山通2?4?10―203、高畠方。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

「婦人文芸」98号(東京都)

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2018年2月 8日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「海に浮かぶ町」秋本喜久子】
 千葉県で東京湾の沿岸に浦安という町がある。東京ディズニーランドが出来るまでは、山本周五郎の「青べか物語」のモデルの町として、周五郎フアンには知られていた。昔は葦原で、漁業と海苔採取業の町であった。この町に住む高校生の悠太の大学受験生活を通して、学友の誠一、彼と付き合っている美佳に悠太は恋心を持っている。
 学校の文化際の催しで、明治からの浦安の歴史を展示する企画があって、その制作活動のなかで、町の資料館を利用して、海苔採り場であった町のことを調べる。
 そのなかで、山本周五郎の「青べか物語」を読み、当時の性風俗のかなり自由な生態を知る。また、漁師だった住民が、東京湾の埋め立てで漁業権の放棄による補償金を得た。あまり大金を手にしたことのない漁民はいかさま師に金をだまし取られたり、身を持ち崩したという話が伝わっている。
 終章では、ディズニーランド周辺の住宅地が、東日本大震災で地面の液状化で、大被害を受けた様子が語られる。
 本編では、浦安という町を舞台に、高校生の活動と、その親たちの生活の変遷が示されている。読んでいて、大変懐かしい感じがした。というのも、自分自身は、大森に住み、海苔の種付けのための網を載せたポンポン船で、父親と共に東京湾を横断。浦安と姉が崎まで渡っていたからだ。
 山本周五郎の足跡をたどる資料など、たくさんあると思うので、別の視点での作品も期待したい。
【「挽歌」野中麻世】
 昭和20年、敗戦末期にハタ町というところにも、米軍の焼夷弾爆撃がされる。そこに伯父さんが住んでいた。敗戦間近い7月9日の夜中、私たちの市はアメリカの爆撃機百八機による空襲を受けた。夜中のたった2時間足らずの無差別焼夷弾攻撃で、市のほとんどが焼け野原となったとある。
 なかに「空襲に遭った人々の証言」(空襲を記録する会発行・1989・3)からの抜粋があり、空襲によって、猛烈な火災が起き、空中6千メートルまで煙が吹きあがり、旋風でドラム缶も人間も舞い上がったという資料記録が記されている。
 身近な伯父の思い出のなかに、当時の悲惨な現状を示している。
発行所=142-0062東京都品川区小山7?15?6、菅原方。婦人文芸の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:婦人文芸

2018年2月 6日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【随想「村の名前」(わが逍遥遊?)石川繁】
 NHKのお名前由来番組が良く観られているようだが、ここでは「ふるさと」が、古い都での懐かしさを意味であったのが、地方から江戸に人々があつまり、故郷という意味がついたとか。また、江浦草(ツクモ)が江浦藻(つくも)となったという。もとは葦の種類のフトイという水辺の植物の総称であったという。なかなか勉強になる。
【「雪の雫」渡辺光昭】
 中年男が、若い女を愛人にして付き合いが長くなる。それを妻が感づいているのではないか、と思わせる出来事が起きるのだが、作者は中年男のそれに気がつかない視線で語るので、それがスリル味になっている。愛人との腐れ縁を地道な書き筆遣いで描き、面白く読ませる。ただし、週刊誌の不倫騒動の世相のなかでは、折角の筆力も見栄えがしないで、損をしているかも。菊池寛が科学技術の発達で、ロマンがなくなり、詩は滅びると予言した。現代は小説でロマンをでっちあげる作業をすることが出来ないのか、などを考えさせる。
【「巡礼の娘」安久澤連】
 「一関史」第三巻の民話・伝説のうち、第二十五話「袖が原物語」が原作だということが末尾の資料として挙げられている。普通の生活をしていた女性が、貧しさのゆえに、家から出て、身を売る生活になる。取り残された、その娘も生活のために売春宿で働くようになる。そして巡礼に旅に出て行き倒れになり、村人に自分の身の上を語る。なかなか切実な感じで、引き込まれる話法である。
【「再読楽しからずやーウイリアム・フォークナー?『エミリーの薔薇』」近江静雄】
 自分も中年の頃になって、やっとフォークナーの多くを読み終えた記憶がある。「エミリーの薔薇」は、因習のなかで、女性が自らの愛をつなげていく努力が切なく描かれている。フォークナーがちょっと、ブロンテの「嵐が丘」に霊感を受けたのかも、と思わせる。それがエミリーという女性の名に出ているような気がしたものだ。とにかく、楽しい読み物になっている。
【「松本清張短歌一首の謎(22)―投身自殺予防短歌として」牛島富美二】
 松本清張のミステリーに「ゼロの旗」というものがある。物語に出てくる能登には---

雲たれて / たけれる荒波を / かなしと思へり / 能登の初旅 / 清張

 という句の碑があるそうだ。そこで投身自殺をした女性がいたことから、地元の自殺防止のために頼んだ句だという。その他、面白い逸話が記されている。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4?3?20、牛島方。仙台文学の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:仙台文学

2018年2月 4日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「家畜化計画」有森信二】
 日本の家族の伝統的な構造に男子家父長継承制度がある。天皇制の仕組みがそれであり、戦国時代の下剋上の時代から、徳川幕府までもその仕組みが継承されている。
 男子継承であるから、女性の役目は、男子を産んで育てることである。この作品では、その制度がもたらす、ひずみを軸にして、たくましく生きる女たちの生活を中心に描く。
 話は、80歳を超えて病歴の多くなった克子を、息子の健治が住んでいる福岡に呼び寄せようとするところから始まる。そこから克子の母親のトシの境遇から生まれた「トシの掟」に関わる物語を通して、農家の家族制度の伝統に縛られた女性の生命力を力強い筆致で表現する。密度濃い描写と、筆の運びで、一気に読んでしまった。女性の視点や、男の視点に移動させる表現力で、登場人物の体臭までが伝わって来る表現力は、抜群である。今年中にこの作品を上回るエネルギーを持ったものがでるかどうか、考えてしまうほどの出来映えである。
 核家族が増えて、家長制度はあまり話題にされないが、現代社会の深層に根付いていることから、共感をもつ人も多いはず。
【「幼稚な日本人」中野薫】
 もと警察官からみた世相で、警察官が何のためにいるかを理解せず、何でも警察に頼る人が多くなったという。自分の周囲にも、タクシーがわりに救急車を呼ぶ人がいる。また、農家の作物を盗む、戦時中でも盗まれなかった村の半鐘が盗まれたりする。心のない人が増えたようだ。安部内閣では国民総活躍政策をするとしているが、そんなことができるのだろうか。まあ、警察官も人間なので、いろいろ不祥事もあるのだが...。
発行人=〒818?0101太宰府市観世音寺1?15?33、有森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:海(第二期)

2018年2月 3日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「町」マチ晶】
 ストーリのない散文で、書き手は住んでいる町の中心部に行ったことがない。見知らぬ町をゆくように観察しながら彷徨する行程を描く幻想小説。静まった町の風景に非実在的な女性が登場。短い割には自らのイメージを追想する描写などは、時間をかけて書いたように思える。不安と憧れ、愛とロマンの世界。統一性に欠ける面があるが、文学性の高い作品に読めた。
【「足跡」北堀在果】
 記憶によれば、インドにルージュという名僧がいて、彼は若い頃には透明人間になって、女性の館に忍び込んだ経験がある。後に、空と中観の心の領域を説く人になったという印度説話があったような気がする。それが日本では、龍樹菩薩といわれるようになったのだろうか。話は薬を飲んで透明人間になって、女性にいたずらをするが、ついには、ばれてしまうというもの。その人が龍樹菩薩になる前の話である。
 末尾に「今昔物語」巻四第四十四「龍樹俗時作隠薬語」との引用であることが記されている。
【「あなたもそこにいたのか」和泉真矢子】
  夫婦間に子供ができないが、欲しい妻。不妊治療専門医に通う。夫の協力が欠かせない。夫は、形ばかりで、身を入れて協力をしない。女性の立場から、その悩みを巡って、女性の立場からの真理と行動を描く。話は想像妊娠現象に及ぶのだが、終わりは自己憐憫の涙を流して、生活への意欲を取り戻す。不妊治療をする女性の心理がどれほど辛いものかを描いて良いのだが、娯楽小説にするには、ストーり―的な面白がらせの要素は薄い。純文学にするには、語りの感覚が軽い。これは、作者の問題と云うより、文芸世界の現象が複雑化しており、方向性を作者が捉えきれていないためのものだと思える。書き続けることで、道が開けることを期待したい。
【「あおい鳥」よしむら杏】
 結婚して、15年の夫婦。ペットを飼っている。妻の史華は、ときどき「お不安さま」と称する不安症状が起きる。ここの設定が大変面白い。と、思ったら、具体的な事例が、分かりやすく、平凡。有澤家の子供も登場するが、その位置づけの意味が単純。夫が無精子症とわかるが、「ま、いいか」という感じ。問題提起になる素材を並べながら、それほどこだわらないで、幸せな日常。この段階では、風俗小説の範囲。時代の現状を良く表していることは確かだが。
【「痲保良」櫻小路閑】
 大学准教授の大堂は、地球温暖化の研究者である。彼の講演を澤渡という男が、熱心に聴講している。
 その彼の話を聞く大堂。澤渡は、事業で大儲けをした資産家。「痲保良」という地区を買い取り理想郷を、建設する話をする。作品のポイントとしては、澤渡の話が主体で、彼の独白を、大堂が受け止めるという形式。語り手から長話を聴くという間接的な手法をどういう形式でするか、というところが工夫のいるところ。内容は、現在の日本社会の現状と国民性への批判があるように読める。
 ここでは、合間に料理に注文を入れるということで、場を持たせている。そこが面白かった。
発行所=〒546?0033大阪府東住吉区南田辺2?5?1、多田方、メタセコイアの会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:メタセコイア

「文芸多摩」10号(町田市)

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2018年1月22日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  【「常識のかけら」一条まさみ】
 キミエという社会人になりたての女性が、アパートを借りて、神田の小さなデザイン会社に勤める。そこで社会の仕組みを学ぶことを、常識のかけらを知るという意味のようだ。
 時代は明確でないが、デザイン会社でキミエが業界新聞の題字のレタリングを定規やフリーハンドでおこなっているところや、生活事情から、戦後の復興期の時代と推察できる。
 父親は結核療養中で、母親は同病で若死にしたなかで、零細企業の社員の生活が描かれる。生活上の苦しい状況の描写に重点を置かず、若さ生活力をつける軽い描き方に、工夫がみられる。ただし、作者の話によると、家庭内の状況には大変な苦労があったそうである。ただ、それをは省いたことで、明るいトーンで話のまとまりが良くなった。
【「『穴熊』と少年恵介】
 恵介少年が国民学校6年の時に、太平洋戦争がはじまった。場所は四国山脈の眉山の麓である。なにも疑わず国民全体が、国の大本営発表を信じ、日本人が一体となって戦意高揚に戦争を支持する勢いが描かれる。主人公は、少年の恵介であるが、作者は少年の視線をもとながら、冷静な筆使いでそれを客観的に描く。
 「穴熊」というのは、城東中学校の校長に生徒たちがつけた渾名である。内心は世相に批判的だが、とにかく良心に従って、生徒の勉学をすすめた。ただし、成績優秀生徒が、陸軍や海軍の士官学校に進もうとすると、それを押しとどめて他の進路をすすめたので、世間から批判されることもあった。
 米軍の空襲で多くの民間人が焼夷弾で焼け死ぬなか、「穴熊」は、自らの危険を顧みず逃げ遅れた生徒が合いないか、見回る「穴熊」の姿を少年は見る。なかでも、天皇陛下の御真影を守るために命がけの活動をする国民たちの姿を描いているのは、象徴的である。
 敗戦がわかった少年は、<なんだ! 日本は神の国ではなかった野か><国や神様がウソを教えて来たのか>とわかり、<もうだまされないぞ。自分で考えるのだ>と少年は決心する。校長の「穴熊」は戦後、郷里の岡山に帰り、裁判所の判事を務めたという。
 少年時代に、個人よりも国家集団を優先した時代。神の国とsれたその雰囲気と考えが敗戦で一変してしまった時代の一番の被害者の立場が、静かで冷静な調子でよく示されている。
【「10歳の階段」原秋子】
 メイコは小学4年生で、その学校での運動会などの生活ぶりが描かれる。運動会では、リレーには出るが、ソーラン節などのダンス競技には、誘われても出ない。自分は、皆のように熱心に練習をしていないのに、一緒に踊るにはふさわしくないと感じるからだ。また、徒競争では身体の不自由な生徒に、ハンデをつけて走らせていることに、当人はそれをどう感じるのだろうか、と思ったりする。とにかく論理性のある考えをするのだ。
 一見、童話的な調子の中に、生活はどうあるべきかを、大人に考えさせるという思想をもった作品であることがわかる。そう見ると、興味が湧く形式の作品である。
【「差し出された手」木原信義】
  大学を卒業して教師になる過程をへて教員試験に合格した河村明。だが、東京都教員組合の分裂動向や本部との軋轢などで苦労する。共産党にたいする風当たりの強さなどが語られる。具体的には、図書館教育のなかでの親子読書運動の成果が語れる。教育者の外部圧力と教育活動の難しさが示されている。
発行所=194?0041東京都町田市中町2?18?042、木原方、日本民主主義文学会、東京・町田支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

2018年1月18日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は長崎ペンクラブによる「ながさき総合文芸誌」という独自のスタイルをもった地域誌のようだ。地元の文化資料として宮川雅一「終戦直後に斉藤茂吉の書いたハガキ」については、別サイトで紹介している。
【「夢の中の教会への巡礼・ローマ劫掠一五二七」吉田秀夫】
 1520年代の欧州を席巻したローマ帝国とルタ―宗教改革運動、権力の内部争いの歴史が、鳥瞰的な視点で物語化されている。こうした分野には門外漢だが、密度の濃いヨーロッパ史である。そのなかに、人間性の善なるものへの志向と、善悪を超えた動物的本能に支配される暴力性と、性的征服欲の欲望を持った存在であることを示す視点が読み取れる。
【「夢の中の教会への巡礼の旅」筑紫龍彦】
 人は如何にして学者になるか、ということの一例として、興味深いものがある。タイトルを教会に結びつけたのは、クリスチャンの立場なのであろうか。話は、長崎での戦後の父母の生活との戦いから、子供の立場から、新聞配達を行い社会体験とする。
 いわゆる働くことで社会と接触し、そこから自らの人生を切り開いた世代の話。自ら知恵でエリート社会への道を切り開く。社会の生産活動に加わる世代に対す、現代っ子は、お使いで消費者として、「はじめてのお使い」が社会との接点となる。こうした自伝記はへの印象は、世代によって、受け取り方が異なるであろう。
 作者はカント哲学の学者のようである。人生いかに生きるべきかを根底に、キリスト教だけでなく、佛教、禅宗、などに幅広い知見をもつことがわかる。
 自分は生活に追われて、また学者や文学者になるための努力もしないでいるが、ただその日その日を無自覚に過ごしてきた、いわゆる典型的な俗人の立場から、時間をかけて読み、なるほどそういうものか、と同世代における学者の姿を知って、何かが見えたように感じ、感慨深いものがあった。
 この二つの作品は格調が高く、読むのに時間がかかった。それだけの意味はあって、俗物なりの理解ができたように思う。
【「治にいて乱を忘れず」藤澤休】
 これには<註>がある。我が国の安全保障に関するもので、1、「空想的平和主義からの脱却ー日米同盟は戦争への道か」(2015・05・03)と、2、「中国の南シナ海侵略と日本」(2015・08・13)と、3、「敵基地反撃能力の保有」は友人限定のフェイスブックに載せたものだという。それに、4、「国内政治の危機ー安倍おろし運動は正しいのか」(2017・08・20記)が掲載されている。いわゆる、野党の政治活動を批判し、反発する論理をのべている。日本の保守思想というか、現政権の主張とほぼ重なるもの。国民の主張のなかで、このような考えが多くあるので、安倍政権が単独過半数をとる理由がわかり、面白い。なか真っ向からこういう意見を出すのは、政治家しかいないので、国民の大多数の声として読む意義はある。
 ただ、フェイスブックでは、こうした論調でよいであろうが、活字になると、公論としていくつかの説明不足が目立つところもある。戦前の軍部の主張と重なるところも見受けられる。それと、政治活動と歴史認識の思想とは、異なるので他国を一方的に侵略国扱いするのは、感情的にすぎるように思う。
 また、ジャーナリズムは権力者の横暴を許さないように見張る役目があり、批判しかしないというのも、仕方がないところである。バランス上必要であろう。
 ただ、こういう意見を掲載する地域雑誌は少ないので、いいのではないか。
 連絡先=〒850-0918 長崎市大浦町9?27、長崎ペンクラブ」事務局。代表者:田浦直。編集人:新名規明。

「アピ」8号(笠間市)

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2018年1月 6日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

   本誌の発行拠点である茨城県は、わたしの母の郷里でもあり、愛着を感じる。とくに今号の田中修「旧水戸街道120キロを歩く」は、その道筋に思い当ることが多く。感慨深かった。近年でも、我孫子の手賀沼には足を運んでいる。
【「一つ目橋物語・其の一『踝』」西田信弘】
  時代小説である。大工の竹造は仕事が終わると、隅田川岸辺のつたやという小料理屋で、白い美しい踝の女を見染める。竹造がその女と懇意に接触し、恋と人情の話に展開する。私は時代小説は読まない方だが、この作品は視覚的な要素に注力した文章が見事なので、読み通してしまった。かなりの経験と修練に優れた、小説の小説らしさを示した筆使いに注目した。
【「生命の森」さら みずえ】
 一家族の日常の現在が、親の介護あり、仕事あり、親子関係あり、それをめぐる夫婦の関係が描かれ、主人公は主婦の多江で、ある意味で家庭の日常をいかに平穏に維持するかということへの努力を描く。小説的でありながら、生活日誌的で不思議な作品と感じた。それが末尾の「おことわり」に「この物語の時代背景は、1980年です。従って、看護師、付添い婦といった名称は当時のままであることを御理解下さい」とある。なんと、約40年前のほとんど実話なのだ。その内容は、高齢化社会の進み方と、現在の普通の家庭に比べ、巧みにソフトランディングして家庭のまとまりということに破綻がない時代であったことを、強く認識させてくれた。
 発行所=〒309?1772茨城県笠間市平町1884?190、田中方、「文芸を愛する会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:アピ

「群系」第39号(東京)

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2017年12月29日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「貸家物語『猫を侮るな』」小野友貴枝】
 地方公務員を定年退職した多賀谷裕子は、貸家を三棟ほど所有している。そのうちの一棟に、四月から入居していた遠田が、七、八キロ離れた山奥で、死体で見つかった。
 この遠田という男は、初美と云う愛人がいた。遠田が貸家に住む不動産屋への手続きは、初美が行ったらしい。そのためか、遠田の同居人は息子ということになっているが、実際は初美が家内をしきっているようだ。
 賃貸契約では猫を飼ってはいけないことになっているが、遠田と初美はそれを無視して、猫を何匹も飼い、家も借家人も猫の臭いに充満する。猫屋敷と化した遠田コンビと不動産屋と家主のやりとりが小説的に面白い。ここに重点を置いて描かれているので、冒頭に記された遠田が山中で、遺体となって見つかった事実が、出来事として受け止められ、ミステリー的な読み物ではないことを示している。そのため、なぜ、どのようにして遠田が死んだのかということが不明のままで区切りをつけているが、小説的にはそれほど問題を感じさせない。貸家話の連作になるのか。タイトルは「猫」遠田を死に追いやったのかと、妄想させる。とにかく、出来事の叙事と小説的な物語を混在させて、個性のある作品になっている。
【「叫ぶ Calling...」荻野央】
 二つのエピソードをつなげている。 「空蝉」というタイトルでは、生臭坊主がお彼岸と死者の霊の話をもっともらしく語るところが導入部。この入りが工夫の見えるところで、蝉の抜け殻や、その後の蝶の出現と、亡き妻との霊的なつながりを記す言葉を引き立てている。ちょっと清岡卓行の「ああ きみに肉体いがあるとはふしぎだ」の透明感のあるビジョンを思い浮かべてしまう。作者好みの甘い幻想を加えたようなロマン精神の散文表現になっている。
 もうひとつの「棺桶の電話」というタイトルのものでは、関西国際空港に近いところに箱作(はこつくり)という町がある。そこに妹が住んでいる。その町の名は棺桶作りの町だったかららしい。妹は夫が蒸発して年月を経たので、高級棺桶屋に頼んで、中に電話機を入れて葬儀をするという。これも霊的な異界との交流を意識的につなげ、蝶の登場でそのロマン的精神をまとめている。通信電話機を棺桶にいれるという、発想がユニークだが、イメージ的な想起では、なるほどと感心させられた。
 本誌には、同じ筆者の評論「石原吉郎の詩、わたしの読み方(三)」がある。情感豊かで、優しい視点で評する。たまたま、詩人で評論家の郷原宏氏が「未来」(未来社の季刊誌)に「岸辺のない海―石原吉郎ノート」を連載している。冷静な分析力が興味をそそる。なかで石原が朔太郎の「月に吠える」の作品に影響を受けて、新しい展開のきっかけになったのではないか、という説があったので、それについて、郷原氏に会った時に「月に吠える」の朔太郎の独特の肉体の部分表現についての影響であるのか、ときいたところ、それはないであろうという返事だった。
【「蠱惑の森」坂井瑞穂】
 ドイツ文学のグリム童話の風土色の濃い、魔法使いや妖精の跋扈する世界での「ぼく」の体験談。アルプスの麓の緑の森の雰囲気小説として、グリム童話の陰鬱さから離れた、明朗な調子の表現に特徴がでているように思えた。
発行編集部=〒136?0072江東区大島7?28?1?1366、永野方、「群系の会」。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:群系

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