2016年9月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「海始まる」木村誠子】
 冒頭にランボーの詩「永遠」の金子光晴訳のものが、提示されている。「永遠」は、多くの訳があり、表現が異なるが、自分は堀口大学のものが好きだ。
 父親が他界した時に、49歳になって急に仕事をやめた「私」は、母親に苦情をいわれ、再就職したが、そのときに、思いだしたのが、高校生時代にボランティアで参加したホスピスのことで、そこでアオオオカミと称する老人との出会いである。そして、ポルトガルの海で、ランボーの「永遠」の観照体験をすることで、社会生活を一歩進めることを決心する。ほとんど自己表現に徹した散文詩のようなもの。詩的インスピレーション表現と、散文が混在させた人間性への信頼を回復することを骨子とした作品であろう。ただ、50歳になろうという人間が、自分探しをするような時代の幼稚化に対する作者の見識を明確に表現すべきであろう。
【「サンタクロースなんかいるもんか」泉ふみお】
 貧困から高校を卒業できるまでにこぎつけた俺という少年の独白体。父親が生活保護を受けるなかで、俺は高校進学をしようとするが、父親入学させないことを高校に宣言に行く。しかし、そこの高校は、俺の入学を認めてくれる。
 その校長の教育精神の高さに比べ、入学した生徒の向学心は薄い。昔でいえば、不良の巣だ。だからこそ手とり足とりの教育が必要と、校長が判断したのかーー。この状況の描き方が面白い。やがて少年は、父親の心の内を知り、社会の奥深さを知る。人情味をもって夢をもちつづけることの大切さを示す意味がタイトルに込められているようだ。
【「オーバー・ザ・リバー」高原あふち】
 韓国籍から日本人に帰化した準という男ががんで死亡する。その男が幽体離脱して、上から自分が残してきた家族についての回想をする。それから視点を妻のほうに移して、生活の苦労を語る。二人の交互の独白で過ごしてきた時間の中身がわかるという手法。一視点では、重くもたれるようなテーマを対話風に進めて読みやすい。また、差別意識への問題提起をさりげなく含ませるなど、娯楽小説的ななかにテーマ性を強く盛り込んでいる。
【「内臓」善積健司】
 優と南上という幼馴染みで、大学も就職した会社も同じ。さらに女友達も同じで、その肌を共有するような関係の友情とライバル心を描く。同じ女友達を抱くことで、対抗心を燃やす南上の心理を描く。おちがあるので、一応の娯楽小説に読める。しかし、底が浅いのではないか。
 現代のエンターテイメントでも、こうした自己存在感の確認をテーマにして味の濃いものが通常化している。日本でのミステリーとされる分野の作品が、海外では純文学と目されているものもある状況を知ってほしいものだ。それらに、共通しているのはキャラクター表現に作者の思想が盛り込まれていることであろう。反逆精神なくして文学は芸術たり得るのであろうか。かつて米国におけるレッドパージの対象となったD・ハメットのハードボイルド小説「血の収穫」は、ジイドが文学芸術性を評価したが、そこには資本主義の欠陥を指摘する視点の文体があったからだと思う。現代ではJ・クラムリーなどが暴力と金にひたる人間の愚かさを浮き彫りにした探偵小説を書いている。
【「白鳥の歌」高畠寛】
 文芸同人誌で書く人にとって、面白さではこれが一番かも知れない。自己の同人雑誌生活を軸に、3・11福島東電原発事故への批評を行ったものである。作者をモデルとする邦夫は、1965年に大阪文学学校に入り、その2年後、そこの講師となる。当時から文筆にたけていたことがわかる。彼の人生は、1960年に大手不動産会社に入社し、1997年に定年退職。38年間勤めた。同人誌発表の作品と実生活の関係をノンフィクションで語る。なかには、作品が日本経済新聞社から出版の話が出るが、内容の扱いについて、不都合があり、出版を断るというエピソードもある。これは、商業性よりも自己表現にこだわる同人誌作家ならではの出来事であろう。
 ただ、本編での読みどころは、小説的なドキュメントとして書かかれた文体である。散文としての新しいスタイルの変化の可能性の道を開拓する手本としても読めた。全面的に支持するものではないが、そのこだわりに共感するものがある。
 発行所=〒545?0016大阪市阿倍野区丸山通2?4?10?203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

「法政文芸」第12号(2016)

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2016年8月15日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

2作品に読む時代精神

 本号の特集「表現規制と文学」については《暮らしのノートITO「法政文芸」(第12号)特集「表現規制と文学」で問題提起》にその意義を社会的視点から記した。現在と大東亜戦争前と戦時中の言論統制の歴史的事実を否定的に学んでのこと思える。だが、文学的には、当時のメディアの大本営発表までの経過は、国民が自ら陶酔状態から求めた結果、という視点もある。戦場体験を積んだ作家・伊藤桂一は戦争への反省に足りないものがあると、語ったことがある。
 ところで、掲載された小説の収穫は「僕の兄」(工藤はる花)であろう。作者は女性のようだが、作中の語り手は「僕」である。幼年時代に、兄に連れられて、自転車で見知らぬ遠い場所に連れていかれた記憶が語れる。その時の心細さと恐怖感を味わう。心配した両親のもとに戻るのだが、なぜ兄がそんな冒険をしたか、わからない。「僕は時々、子供と大人が地続きであるということがどうしても信じられない」と記す。ここに、人間の人格形成へのみずみずしい感覚の問題提起が行われている。
 しかも、その作品構成力には、修練された技量をしのばせているようだ。話は、兄が若くして死んだことを葬儀の場を描くことで、読者に示す。弟という立場からそこに至るまでの出来事を思い越す。父母と息子の兄弟の4人家族。兄は、は中学、高校と思春期の成長の過程でつまずき、家出、引きこもりの問題行動を起こす。弟の僕はそれを横目で眺めて、成長過程を問題なく通過する。世間的に普通の「僕」に対し、普通でなくなっていく兄。自死とも事故死とも判然としない自滅死をする。その兄を見る視線は、なかなか普通を超えて、兄の苦しみを不可解のまま、それを否定しきれない心情を描き出している。僕の兄は何が問題だったのか、そこに現代的な家族関係の一般的な自然な姿を浮き彫りにさせる。
 日本が成熟社会に入る以前は、引きこもりをする余地はなかった。経済的にも社会成長のためにも、僕の兄のような存在は、是非もない否定的な問題であった。
 成熟社会を迎えた今、「僕」は兄のことを考え、なにかを理解しようとすることで、心の整理をつけようとする。かつての、前肯定でなければ全否定という対立関係での発想でなく、相手のなにかを理解をしようとする存在否定をしない社会文化の変化を感じさせるものがある。
 小説「人生コーディネーター」(中橋風馬)は、まさにITアプリケーション技術の発達が素材になっている。真人は、何事にも「ニーズに対応したシステム化」が日常生活に応用され、何事にも問題や不利益を回避し、順調にいくアプリを使う。ところが、アプリ使用の終了後も、独自にアプリケーションは、真人の行動を情報取集し続けて、彼の行動をコントロールしていることがわかる。
 多かれ少なかれ、我々は自分のために多くのシステムを活用し、そのなかで生活している。それが、地球温暖化現象となって、何事にも破綻があることを示している。しかし、それを押しとどめることができない人間性を浮きただせる話になっている。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

カテゴリー:法政文芸

「孤帆」Vol,27(横浜市)

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2016年8月12日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  「孤帆」」は、永らく文芸同志会通信に送付している有力同人雑誌である。近年は連絡事務所の私の元へも届けられている。
 発行責任者のとうやまりょうこ氏が同級生の塚田遼氏などと19歳の時に創刊し、14年間にわたり継続中とある。
  言い出しっぺのとうやま氏の熱意が伝わって来る雑誌作りである。作品も体裁も強烈に訴えるものが感じられる。
  奥端秀影「旅の終わり」は面白く読めた。桃太郎伝説を茶化したり皮肉ったり深刻ぶらせたりの読みやすい作品。
  盲目になり、猿に説得され、猛犬や雉と一緒に育ての親の住む集落の全員を殺略する結末は警告的でもあった。
  とうやまりょうこ「リサ」は作者の等身大とも思える主人公真理子の日常と感情がよくわかり読み込まされた。
  二十年来の親友である美智佳が預ける14歳の娘との交流が細かく書き込まれ、少女が立ち上がっている。
  リサの父親とも旧知なので気さくに接近を図り、美智佳の疑惑を受ける破滅までの顛末が一気に読めた。
  塚田遼「it`sasexualwold-1」は、スピ-ド感ある進行で性的妄想に害された現代社会を描く長編を想像出来る。
  創り込まれた文章・筋書きと見合う生き生きとした登場人物。エロに囲まれた社会が空恐ろしく読み取れた。
  畠山拓「無原罪宿り」は、読書力が低く表面活字を眺めまわすばかりでどうしても主題に届かない。
  物語を書かなければならない男の日常は、虚実雑多な物語と警句や妄想等々に遮られ粗筋さえ頭に残らない。
  この4人は物書きとして啓発しあい・挑発しあい、作品の中に友情を込めているのだろう。羨ましい。
  良い紙(上質なコート紙?)にカラ-写真。そして、洒落た特集「あの景色を忘れない」等々。読ませて売る為の製本。
  そういえば、とうやま氏の同人仲間の北村順子氏からも分厚い自費出版の上製本「晩夏に」を頂いている。
  文芸好きの仲間が励まし合って向上している「孤帆」を読むと、こちらまで元気になって来た。感謝。
発行日=2016年8月10日。発行者=とうやまりょうこ。発行所・横浜市西区浜松町 6-13-402。頒価・1200円。
《参照:外狩雅巳のひろば》

カテゴリー:孤帆

「仙台文学」88号(仙台市)

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2016年8月10日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あめふり」渡辺光昭】
 神尾勉は、就職活動に精をだすが、面接で良い印象をつくれず、状況は厳しい。同じように就活をする学友の片岡俊平と夕方、喫茶店で落ち合う。片岡の状況はやはり良くないのであるが、彼は、仕事がなければ作家を目指して生きて行きたいと、愚痴をこぼすのが癖だ。
 その時、窓の外の子供連れの母親が見える。子供は何かが気にいらない。ぐずって母親を困らせている様子が見える。
 そこから片岡が母親から見捨てられた、と思う出来事を体験した身の上話を語る。そのなかで、自分と良く似た、母親の子供と巡り合う。当時の写真なども見せる。母親が自分を見捨てて、再婚し、その子供と再会するドラマチックな話をする。最後に、トルストイの「アンナ・カレニーナ」の「幸福家庭はどれもが似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違った不幸の顔がある」という文言を引き合いに出す。
 そこで話は終わるが、彼と別れた神尾は、何故片岡がそんな話を自分にしたのか、それは彼の小説的な創作ではないのか、と疑問をもったところで終る。
 この作品の出来はともかく、小説的題材と、作品の構成について、ある効果を生んでいるところに注目した。
 それは、語り手の話のなかに別の人物が独立して表れ、間接的な伝聞のなかに、また物語があるという構成になっているからである。出来事が重層性をもって表現されるという手法である。漠然としたイメージで小説らしい素材を選んでいるうちに、そのようになってしまったのか、どうかはわからない。叙事と叙情の接合効果を狙ったものとして、面白い。
【「再読楽しからずや 金建寿(キムタルス)?古代日本史と朝鮮文化」近江静雄】
 日本古代史研究者・上田正昭の訃報から、かれの業績なかに「帰化人」と「渡来人」の意味性の異なることの指摘からはじまる。いつ頃から朝鮮半島をひとつとして見るようになったのか、とか高麗人というのは日本では、朝鮮半島の内国での区切りとしていたのか、など、歴史的な状況のちがいを知ることで、一面的な隣国へのイメージを変化させている可能性があるのではないか、を考えると、意味深いものがある。
【「尾形亀之助短歌一首の謎―扱いかねる溢れた才能―」牛島富美二】
 尾形亀之助の詩は読んでいたが、その実生活ぶりは全く知らなかったので、勉強になった。おかげで、存在感に対する自己充実性の源を垣間見たような気がした。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4?3?20、牛島方。仙台文学の会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:仙台文学

2016年8月 8日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  「日曜作家」は、季刊発行を続行中の勢いのある同人誌である。毎号目を通しながら発展に寄り添う事はたのしみである。
 編集後記に「物書きたる者,清貧に甘んじ、晩節を汚すことなく晩節を全うしたいものである」と記している。
 大原正義氏は先頭に立って執筆と運営に邁進中である。
 今回は「鬼のほそ道 俳諧道」で表現者の生き様を描いた。俳句結社の即席創作合評会での確執から始まる芭蕉門下の高弟の壮絶な作家道が迫力ある文章で書き連ねてある。
 大原氏の以前の作品「酩酊船」も感銘を受け感想を送ったがこの人は歴史からの題材を上手に作品化している。
  会員同人57名の大所帯であるが今号も執筆者は12名での13作品と106頁のこじんまりした体裁である。
  しかし、作品への思い入れは強く、65件の発送先の中には文芸雑誌社や同人会などが網羅されている。
 「短信」や「告知」欄には、掲載作品の評判を反映させている。14号を紹介した私の文芸同志会通信の記事も再録されている。
 関西中心の会員層なので会合なども行えるのではないか。以前も開催しないと記してあったが事情があるのか。
 今回の大原作品では句会での作品評を巡る討論そして決裂の内実が表現者の意地を下地に書き連ねてあった。
 批判に激高して口論が起き退会した仲間を何人も見てきているので合評会運営の苦労が改めてこみ上げて来た。
 講師を招いても教え諭される事を嫌う同人も多く、謝礼に見合う結果が出ず仲間内だけの褒め合いを続けた事もある。
 たかが同人誌でも若いころはされど同人誌だと気負っていた。大原氏の細心の運営手法と執念には感心している。
 私は高齢者なので、和気藹々の語り合いの場としての会合が居心地良く、作品感想も良い面を多く語るようにしている。
 柔らかな司会進行での作品感想の討論の場を持つ事も、人間関係の深化に成るのでお勧めしたいと思います。
「日曜作家」15号、平成28年7月29日・発行。発行人=大阪府茨木市上野町21番9号、大原正義氏。
《参照:外刈雅巳のひろば》

カテゴリー:日曜作家

2016年8月 4日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「盆迎え」出水沢藍子】
 山懐に小さな滝壺があり、主人公の美濃さんと語り手の「私」恭子は、隣同志である。そこで、敗戦前からの昔ながらの生活をする美濃さんの夫は、亡くなっているが、浮気者でよその女と去ったようなことが身の上話で語られる。その夫のために七夕を飾る美濃さんの不動心を描き「美濃さんは、心底、女に生まれたことを喜んでいるように見えた」と「私」は述べる。そこには、自分の中の愛を慈しむ「私」の心の反射作用であるのだ。
 主人公は美濃さんだと述べたが、じつは語り手の「私」もこの世界を眺める「見者」としての主人公なのである。「私」の大学生時代の淳二郎という男性の「恭子ちゃんと、ぼくだけの秘密にしよう」という言葉を忘れられない。純粋な愛の形を保ち続けている。女性らしい愛を内面にはらんで生きる喜びを、抑えた筆致伝える。都会を離れた田園生活のなかでの、自由自在な老女たちの姿が、まるみを帯びた筆で表現されており、雰囲気小説として美意識を刺激する。
 作者はかつて雑誌「文学界」が同人雑誌推薦作掲載をしていたときの推薦常連作家であろう。読んだような気がする。どこまでも、文章芸術の道を歩む人がいるのだと、感慨を持った。
【「夢幻」杉山武子】
 これは独白体で、女心の愛というものを、生活の歴史のなかで浮き彫りし、前に紹介した「盆迎え」と同様の素材を内包している。兵隊に招集する前から交際していた精一という男性が、戦死してしまう。世俗のしきたりで、結婚はするが、その精一との純愛の思いは消えない。エピソードとして、夫を戦死で失った未亡人が、毎日夫の着物を肌に会わせることで、充実した日々を送る事例が語られる。そして、わたしは、世俗的な生活を捨て去って離婚。家庭のしがらみを離れて、心の奥の純愛の世界に住むことを選ぶ。
 告白体の小説は、人間関係の社会的な背景の存在をなかなか表現しにくい。その分、シンプルで解りやすいのであるが、単調さが見えてしまう。自分自身、そうした欠点を克服しようと試みて失敗した。これは、まとまっていて完成形を示していることで、あまり欲を望まないことにしよう。
【福迫光英「青空」】
 独特の筆力で良く書けている。いわゆる犯罪性異常者の男の起こす事件を男の内側の感性ので語る。言葉の強さ、文章の力で、人間の行動、とくに売春婦殺人や、動物虐待などの悪業を描く。言うに云えぬ現代社会の風景を表現している。
 ただ、基本的に、この男の精神の姿が、なにかを納得させるかいうと、それは表現から読めない。ちょうど、異常な殺人事件を、起きた必然性を納得しないまま、現実にあったことして、メディアが報道する範囲になにかが抜けているようなものか。そこで近隣の人が「普通の人で、あいさつもよくしていましたし、とてもそんなことをするような人に見えませんでした」というようなコメントをきいても、そのことを人間的な共通意識で納得できない。カミユの「異邦人」のような哲学性を望むのを無理にしても...。
 クライム、ノワール小説としては、充分成立するが、文学的成果が出たといえるのかどうか、考えてしまう。難しい問題提起をしているところがある。
発行所=〒890?0042鹿児島市明和1?36?5、相星方。小説春秋編集所。購読会員募集中。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

「海馬」39号(芦屋市)

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2016年7月20日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「玄冬の草」小坂忠弘】
 若き頃の持ち物のなかに、良寛の短歌があったことを冒頭に記し、散文に傾倒していたころ短歌の結社において、
――散文のために詩歌は害なれと避け来し我もや今は歌詠む――というものを詠む。そして、自作短歌を区切りにし、70枚にわたる長編散文詩という形式に挑んでいる。
 菊池寛が「詩は将来なくなる」と論じたことがあった。まさに、現代詩は、絵画の抽象画パターンと具象画、具象イメージ画という分類が出来たのと同じ状況にある。抽象詩は、読者の感受性を頼りにした表現であり、具象詩は行替えをする散文となった。そうした現状のなかで、本編は、詩の方向性をさぐる興味深い試みに読めた。終章には――今私は拙い詩文を閉じようとして何故か「花無心招蝶蝶無心尋花」という良寛の詩を思い出している。それが今の私に遠い風景か近い風景かは自分には分からないけれど。――とある。
 短歌における詩の要素と散文における抒情とを組み合わせたもので、今後の長篇散文詩のひとつの形式の開拓になるのではと、期待したい。
体験をそのまま書いても、生活日誌であり、時には作文になる。文芸風味をつけるためには、やはり散文芸術への創作的自意識が必要である。そういう意味で、本編は含蓄に富んでいる。
発行所=〒659?0053芦屋市浜松町5?15?712、小坂方。海馬文学会事務局。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:海馬

2016年7月 8日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「姫、峠越え」宴堂沙也】
 地元の神奈川県とその周辺は、武蔵国といわれていた。武田信玄の娘を峠越えさせる話を中心にし、郷土史から題材をとっている。なかなか面白い読み物である。とくに、文体が、庶民に身近であった講談調を取り入れて、語りに安定感がある。このところ、職業作家も語りは現代調になっているなかで、双方の良さを取り入れたリズムと味わいがある。懐かしさを感じさせて、なかなかの文才を思わせる。
【「砂時計」五十嵐ユキ子】
 中年過ぎての夫婦関係の心理を描いて、文芸的な意味で、よくまとまっている。夫婦で映画館に行ったが、映画が終わって、妻の私がお手洗いにいく。当然、夫が待っていると思っていたら、先に帰っていて良いと勘違いした夫が、そこに居なかった時の記憶。その気分が簡潔な表現で、心を打つ。
 それと息子を交通事故で亡くしたこと。その後の夫の行動など、断片をつないだものだが、その行間に読者の想像力を喚起する仕組みが活きている。短い作品だが、長い物語の時間を内包しているのが、効果的である。
【「やるまいぞ  須田貞明から黒澤明」登芳久】
 無声映画時代に活弁士であった須田貞明という人物と、交際のあった黒澤明の家庭環境から話を進める。また、三船敏郎との関係の一面を紹介している。監督論やシナリオ論では知ることのない事情がわかり、興味深く読める。
【「夢のある日々」外狩雅巳】
 どういう訳か、インターネットの詐欺メールとの交流をはじめた年金生活者の対応ぶりを描く。何億円かを処分したいので、千円を振り込んで、銀行口座を通知すれば億単位の金をおくるというのだが、そのような金がありすぎて困る状況がどうして生まれたかを説明する話が面白い。背後に、現代的な孤立した年寄りの多さや、わびしさを感じさせる。
発行所=相模原市中央区富士見3?13?3、竹内方。「相模文芸クラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:相模文芸

2016年7月 6日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「星と花 R共和国奇譚」井本元義】
 作品の必要条件とも思える、憂鬱状態の「私」が、多数の部族で構成された山岳民族国家R共和国から招待される。80年に一度のベルセウス座の大流星群が見られるという。そこで、「私」は、その招待に応じて、訪問する物語。設立して70年というこの国は、伝統と近代科学を両立させたようなところがある。そこで、書かれるのが、食虫植物の存在と、しきたりとしての鳥葬の様子である。
 フランスの象徴派、ボードレールの視点と、なんとなく佐藤春夫、福永武彦の作品世界を思わせる雰囲気で、鳥葬の細部にわたる説明や、食虫植物存在感が文芸的に味わえる密度の濃い作品である。文学的表現の高度な技術の見本のような世界を展開される。読ませられながらも、その表現力に舌を巻くとはこのことであろう。読んでよかったと思わせる。食虫植物に食べられる「私」が活きている。やや、ディレッタンチムの気配があるが、上質な純文学の世界を楽しめた。
【「機縁因縁」中野薫】
 保険金殺人事件の犯罪関係者と警察官の活動と犯人が死刑になるまでを描いた犯罪小説。新聞による事件報道をヒントに、小説化したものだという。ここでは、警察官も人間、犯人も人間という視点を崩さず、警察官の職場での立場を冷静に描き、同時に犯人とその周辺の人物を、説得力をもって描き切っていることに長所がある。作者の洞察力と筆力が一致して、大人の読み物として優れている。これも上質な社会派的中間娯楽小説に読める。
 発行所=〒818?0101大宰府市観世音寺1?15?33、(松本方)「海編集委員会」
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:海(第二期)

2016年7月 5日 (火)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「子どもの風景」武藤武雄】
 大東亜戦争中の日本帝国主義時代の子ども達の生活を通して、その空気を伝える。徴兵制なので、昭和19年に恒夫は招集され、万歳三唱のなかで出兵し、両親は20年8月29日に戦死の通知を受ける。この時代の子どもを描くことで、時流に抵抗できない状況の国民の姿を浮き彫りにしている。丁寧に描かれた時代の証言である。
【「山崎川」西澤しのぶ】
 エッセイ風であるが、現代を描いた散文である。戦場ジャーナリストのジムという記者が中東地域で行方不明となり、気にかけていたが、その後無事とわかる。そして日本の平和に感謝する。現在性に富んだものであるが、作文的であるのが惜しまれる。
【「広島と靖国神社」三田村博史】
 詩人としては、難解さのある作品を書いている作者だが、これは散文で解釈にまぎれがない。作者は戦前に朝鮮の日本人社会で育ち、戦後に釜山から門司へ引揚げてきた体験を踏まえ、昨年広島に行った話から始まる。朝鮮での生活意識に子どもだったので、差別意識はなかったという。そして広島の原爆ドームを見て、そこに被ばくの証拠としてのプロパガンダの要素の少ない展示法に、不満を覚える。その後、九段会館から靖国神社へ行く。その間にマンミャーに行った經驗がはさまる。そして憲法9条の強化を希む意見を述べて終わる。
 散文は、時代の中の文芸のひとつの有力な手法だと思う。その点で、自分たちの上の世代の現代感覚を知るひとつの手掛かりにはなる。
【「音楽を聴く(72)」堀井清】
 毎回、前半をオーディオ音楽鑑賞の話をし、後半で芥川賞候補や受賞作品についての感想があるという形式が、楽しく読める。今回は、滝口悠生「死んでいない者」について、辛口の印象が記されている。この小説のタイトルについて本作では「死んでない者」という読み方だけの意味で評しているが、作者は「死んで、居ない者」と死者のことを指す意味にもとれるように、意図的にしているのではないかとも思える。
発行所=〒477?0032愛知県東海市加木屋町泡池11?318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:文芸中部

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