「アピ」8号(笠間市)

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2018年1月 6日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

   本誌の発行拠点である茨城県は、わたしの母の郷里でもあり、愛着を感じる。とくに今号の田中修「旧水戸街道120キロを歩く」は、その道筋に思い当ることが多く。感慨深かった。近年でも、我孫子の手賀沼には足を運んでいる。
【「一つ目橋物語・其の一『踝』」西田信弘】
  時代小説である。大工の竹造は仕事が終わると、隅田川岸辺のつたやという小料理屋で、白い美しい踝の女を見染める。竹造がその女と懇意に接触し、恋と人情の話に展開する。私は時代小説は読まない方だが、この作品は視覚的な要素に注力した文章が見事なので、読み通してしまった。かなりの経験と修練に優れた、小説の小説らしさを示した筆使いに注目した。
【「生命の森」さら みずえ】
 一家族の日常の現在が、親の介護あり、仕事あり、親子関係あり、それをめぐる夫婦の関係が描かれ、主人公は主婦の多江で、ある意味で家庭の日常をいかに平穏に維持するかということへの努力を描く。小説的でありながら、生活日誌的で不思議な作品と感じた。それが末尾の「おことわり」に「この物語の時代背景は、1980年です。従って、看護師、付添い婦といった名称は当時のままであることを御理解下さい」とある。なんと、約40年前のほとんど実話なのだ。その内容は、高齢化社会の進み方と、現在の普通の家庭に比べ、巧みにソフトランディングして家庭のまとまりということに破綻がない時代であったことを、強く認識させてくれた。
 発行所=〒309?1772茨城県笠間市平町1884?190、田中方、「文芸を愛する会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:アピ

「群系」第39号(東京)

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2017年12月29日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「貸家物語『猫を侮るな』」小野友貴枝】
 地方公務員を定年退職した多賀谷裕子は、貸家を三棟ほど所有している。そのうちの一棟に、四月から入居していた遠田が、七、八キロ離れた山奥で、死体で見つかった。
 この遠田という男は、初美と云う愛人がいた。遠田が貸家に住む不動産屋への手続きは、初美が行ったらしい。そのためか、遠田の同居人は息子ということになっているが、実際は初美が家内をしきっているようだ。
 賃貸契約では猫を飼ってはいけないことになっているが、遠田と初美はそれを無視して、猫を何匹も飼い、家も借家人も猫の臭いに充満する。猫屋敷と化した遠田コンビと不動産屋と家主のやりとりが小説的に面白い。ここに重点を置いて描かれているので、冒頭に記された遠田が山中で、遺体となって見つかった事実が、出来事として受け止められ、ミステリー的な読み物ではないことを示している。そのため、なぜ、どのようにして遠田が死んだのかということが不明のままで区切りをつけているが、小説的にはそれほど問題を感じさせない。貸家話の連作になるのか。タイトルは「猫」遠田を死に追いやったのかと、妄想させる。とにかく、出来事の叙事と小説的な物語を混在させて、個性のある作品になっている。
【「叫ぶ Calling...」荻野央】
 二つのエピソードをつなげている。 「空蝉」というタイトルでは、生臭坊主がお彼岸と死者の霊の話をもっともらしく語るところが導入部。この入りが工夫の見えるところで、蝉の抜け殻や、その後の蝶の出現と、亡き妻との霊的なつながりを記す言葉を引き立てている。ちょっと清岡卓行の「ああ きみに肉体いがあるとはふしぎだ」の透明感のあるビジョンを思い浮かべてしまう。作者好みの甘い幻想を加えたようなロマン精神の散文表現になっている。
 もうひとつの「棺桶の電話」というタイトルのものでは、関西国際空港に近いところに箱作(はこつくり)という町がある。そこに妹が住んでいる。その町の名は棺桶作りの町だったかららしい。妹は夫が蒸発して年月を経たので、高級棺桶屋に頼んで、中に電話機を入れて葬儀をするという。これも霊的な異界との交流を意識的につなげ、蝶の登場でそのロマン的精神をまとめている。通信電話機を棺桶にいれるという、発想がユニークだが、イメージ的な想起では、なるほどと感心させられた。
 本誌には、同じ筆者の評論「石原吉郎の詩、わたしの読み方(三)」がある。情感豊かで、優しい視点で評する。たまたま、詩人で評論家の郷原宏氏が「未来」(未来社の季刊誌)に「岸辺のない海―石原吉郎ノート」を連載している。冷静な分析力が興味をそそる。なかで石原が朔太郎の「月に吠える」の作品に影響を受けて、新しい展開のきっかけになったのではないか、という説があったので、それについて、郷原氏に会った時に「月に吠える」の朔太郎の独特の肉体の部分表現についての影響であるのか、ときいたところ、それはないであろうという返事だった。
【「蠱惑の森」坂井瑞穂】
 ドイツ文学のグリム童話の風土色の濃い、魔法使いや妖精の跋扈する世界での「ぼく」の体験談。アルプスの麓の緑の森の雰囲気小説として、グリム童話の陰鬱さから離れた、明朗な調子の表現に特徴がでているように思えた。
発行編集部=〒136?0072江東区大島7?28?1?1366、永野方、「群系の会」。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:群系

「奏」2017冬(静岡市)

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2017年12月24日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「井上靖『猟銃』ノート」勝呂奏】
 井上靖の作品には、まず散文詩を書いて、その素因をもとに小説にしているものがある。芥川賞受賞作「闘牛」の方はさておいて、なかでも国際的には「猟銃」が支持されて翻訳されているという。
 ここでは、散文詩形式と小説の形式のちがいによる「孤独」の追求の違いを比較して読める。人間の孤独感は、人により千差万別な感受性のなかで生じる。たんなる「孤独」という言葉には、それぞれの感受性が反映されない。Aが孤独だといい、Bが孤独だといっても、そこに共通し、重なるもの要素はわずかである。マルクスやエンゲルスが捉えた「疎外」という言葉も、資本との関係性を絶たれたことの、貧困者の孤独な表現であろう。それだけに個別の事情をすべて包括する「孤独」の存在を浮き彫りにする作品が少なくない。
 この評で、興味深いのは、井上靖が「猟銃」を書くときに「全く作りごとの、楽しく、贅沢な感じのするもの」を書きたいと、考えたということが記録されていることだ。根源的で普遍的な「孤独感」を素材にしたことで、ロマンチズム精神を現代文学に持ち込めたことが、海外でも読まれる理由であるのだろうか。私事だが、自分は朔太郎の初期の詩から、中・後期の散文に傾倒し始めた。詩は、天才の技で、模倣しようにも、とても及ばないが、「猫町」のような散文なら、模倣は可能な気がしたのだ。そのなかで、井上靖の散文詩「猟銃」に出あった。なるほど、と思った。それが小説化されていることを知っても、自然なことにも感じたものだ。
【「安部公房『水中都市論』論―街が水に沈む意味」森岡輝】
 安部公房の抽象的な作品を、幾何の補助線を記して説明されているようで、面白かった。共産党に入党し、闘争と弾圧を意識したことで、隠喩や暗喩に満ちた作品が巧みさが磨かれたのかもしれないとも感じた。
【「評伝藤枝静男(第二回)」勝呂奏】
 藤枝が、眼科医になるまでの苦労と、作家活動の変遷は、知らないことばからりで、そうだったのか、なるほど、と興味をそそった。志賀直哉だけでなく、平野謙、本田秋五などと交流があったことと、戦後の生活のなかで、左翼活動に交わるなど、私小説作家への意思の持ち方が、まさに純文学的なものであったことがわかる。掲載された「近代文学」の埴谷雄高の一文も面白い。ちなみに、私は法政大学の夜間部在籍の時に、小田切教授の名を出した文芸の会に出たが、名前だけだらしいと感じて、行くのをやめた。同じく学生の時代、講談社に友人と冒険旅行の雑誌向け企画の売り込み行った。その時に、昼に蕎麦屋へ入ったら、友人が囁いた。「おい。あそこの客は平野謙だよ。」そこには、一人の孤独そうな年配者が静かに箸を動かしていたものだった。
発行所=静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年12月19日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 農民文学賞などさまざまな文芸賞を受賞していた、北原文雄氏の追悼号である。その交際範囲の広さが追悼文を執筆した人々と多さに表れている。直木賞作家の故・伊藤桂一氏が農民文学賞の選者をしていたときの、授賞式に毎年のように出席していた北原氏だが、自分はそれをネットニュースにするために取材に行っていた。懇親会で北原氏と知り合い、「淡路島文学」の作品紹介をするようになった。北原氏の作品だけを紹介すれば良いかと、思っていたが、地域性が浮かび出ている他の作品も多く、かなり他の執筆者の作品も紹介したものだ。残念というも、そうであるが、淋しい。
【「ノーベル文学賞寸考―アンチハルキスト―」大鐘稔彦】
 村上春樹の文学性の特質について、具体的作品に触れて否定的なところを指摘している。そして、否定する前の素材として、川端康成の文体と文章を、批判的な視線を交えて引用。結果的に、文学的な気品をもった作品として「雪国」の文章を取り上げる。そのことによって、この評論の作者が、しいて言えば、芥川龍之介のような、文法的な整合性を持った文章を文学性のために支持していることがわかる。
 このことは、文学性とは何かという問題に深く係わってくる。したがって、本評論は、村上春樹の文学性否定すると同時に、現代文学に対する主張を述べていると解釈できる。
 その思想の延長上で、ドストエフスキー、トルストイの作風に触れ大江健三郎の好き嫌いを述べている。
 その上で、ノーベル賞作家の候補に村上春樹が対象になることに対し、不賛成の立場から、作品における欠点とする特性を述べている。
 読売新聞の名物コラム「編集手帳」の執筆者、竹内正明氏と作者は交流があるそうで、著作本を贈呈しあったり、便りがあったりするという。そこで、村上春樹氏にノーベル賞を期待するという意味のことを、竹内氏が「編集手帳」に記したことに、クレーム書を、渡辺直己氏、小谷野敦氏、西部邁氏たちと共に、送付したそうである。
 村上春樹の小説のタイトルが「ノルウエイの森」、「ねじまき鳥クロニクル」、「!Q84 」などは、こけおどし的で、内容に密着していないことや、無意味に性的なシーンを作品にはさむことへの不満を述べている。
 「アンチハルキスト」であることは、その作品をよく読むことで、春樹ファンと同様であるようだ。本文で、批判している部分も通俗的な感覚で受け取ると、なかなか面白そうに思えるし、村上がマーケティングに優れた作家として、有能さを備えているように思える。
  そういう自分は、村上が中編と短編を合わせたようなデビューした頃に作品を読んだ。自分は、高校時代から、ヘミングウェイ、ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドなど、ハードボイルド文体の手法のなかに、文学性を読み取っていたし、その亜流作品も多く読んでいた。それからすると、初期の村上作品は、文体を良くこなしているが、重みが異なるので、米国ミステリーの甘さのある亜流い思えて、読む意欲をもたせなかった。これは、フィッツジェラルドやサリンジャーのムラカミ新訳においても、わかりやすくなったが、時代の受け取り方の違いを感じて、自分の共感するものと質が異なっていた。
  出会いの不幸という作家はあるもので、その後、あまりに有名になったので、2、3冊読み流したが、現代的な教養的読者層の嗜好を良く捉えているのでは、という手腕を認める気になった。特に、世界の読書家による文学的世界での発想の均一化傾向が、村上作品によって、実証的に捉えられたという意義を見出している。
 本作は、伝統的な日本の文学性を重視する立場からの村上春樹論(それゆえ、共感者も多いであろう)であるが、それは近代社会思想(モダニズム)の慣習的な文学観の層のように思える。ポストモダンの現在からすると、東英紀が「観光客の哲学」に説くように、ある種の他人事のような無責任さをもった文学が否定されない時代を浮き彫りにさせるもの、として読めた。
発行所=〒兵庫県洲本市栄町2?2?26、三根方。「淡路島文学同人会」
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:淡路島文学

「海」第96号(いなべ市)

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2017年12月16日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「猿追いの記」宇梶紀夫】
 田園都市というから、地域郊外の町立病院で、定年退職後、管理員として勤める。その前は町役場の職員として医事課職員であった。病院の医事課の仕事の詳細や、人口減のつづく町の住民高齢化の様子から、親しい友人が亡くなるなどのエピソードを挟みんで、山の猿が、畑を荒らすようになり、捕獲と山奥への追い払いの作業を具体的に描く。
 かつての農民文学賞を受賞したと記憶する作者の作品だが、これまで鬼怒川流域山村の歴史的な検証を兼ねた物語を連続して描いていたように思う。今回は、現在形で過疎化しかねない町の現状を、フクショナルな調子で軽快に描き、よくまとまっている。
【「八月の雪」白石美津乃】
 30代の奥村祥子は、食品会社に勤める。旅行雑誌を見て、スコットランドのエディンバラ城を知り、行くことにした。現地で、今は亡き弟と同年代の素敵な男性と知り合う。そこで、ささやかなロマンスの漂う交流をする。なかで、自分は普通に生まれついたが、人間は身体の不自由な人も、そうでない人も、何かに選ばれて存在するーーということに気付く。普通のロマンス系の話のようで、素材が意味ありげに扱われている。何かを言いたそうだが、なにが言いたいのかよくわからない。だからどうなの? と思わせる。
【「バトンの道筋」紺屋猛】
 木葉小夜子は、長年経営してきたスナック「リーフ」を閉めることにする。彼女は過去に婚約者がいたが、結婚する前に交通事故で亡くなってしまう。すでに妊娠していて、出産をする。仲人をするといっていた上司には子供なく、赤ん坊を引き取って育てたいというので、彼女は放心状態のまま承諾する。そして、女一人の生活をする。新しい男性とも知り合うが、彼女の過去を話すと、悩んだ末に去って行く。
 そうして、スナック経営を始めたのである。それを、高齢になって閉じようとしていると、ひとりの女性が新しい客として、やってくる。彼女の言葉や振る舞いから、小夜子は彼女が自分の産んだ娘だと読み取る。お互いに感情のぶつけあいもなく、淡々とした交際の末に、その娘がスナックの経営を継いで、営業を続けることになる。
 さばさばした語り口で、物語が論理性を中心に進む。これも小説の一つの特性で、現実にはそうならないようなことでも、物語の法則に沿っていれば、結構面白く読めるという、なかなかテクニカルな手法が成功している。
【「川瀬賢三の変容」国府正昭】
 川瀬賢三は、妻と認知症の母親の面倒をみる生活をしている。家には看護師をしている娘がいる。そうしたなかで近所の噂で、世間の情勢をしる生活ぶりを描く。深刻さもほどほどの穏やかな雰囲気がにじみ出ている。
発行所=〒511?0284三重県いなべ市大安町梅戸2321?1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

カテゴリー:海(いなべ市)

「私人」第93号(東京)

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2017年12月 7日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「建築事務所勤務」えひらかんじ】
 あちこちで、ビル建設がおこなわれているが、そのもとである設計事務所の仕事を、海外でスキルを得た外国人技術者が働く様子を描く。こちらの知らない世界を描いているので、情報小説として興味深く読める。事実を背景に、外国人の眼で主体的に仕事ぶりを描くのだから、ペンネームも外国人カタカナ風にしたら、もっと本当らしく読めるのではないか。
【「珈琲朋友」根場至】
 カルチャー講習の小説教室に通う作者は、妻を亡くし、喫茶店で時間を過ごしていると、そこでやはり同年配の男と知り合う。彼の誘いに乗って、競馬場に行くと、その活気に巻き込まれてしまう。しかにも自然な生活日誌な作品。たしかに、世間を反映したひとつの世界が描かれている。
【「E・ヘミングウエイの時代(一)」尾高修也】
 ヘミングウエイの「武器よさらば」の作品を巡って、大学の学部のせいか、原文を読んだことの話から始まっている。自分は、経済学部の教養の単位の必須で、小泉八雲の英文を読む必要があって、ついでに「武器よさらば」の原文本を買って読んだ。冒頭の雨のぬかるみを兵士が行軍する様子のイメージ力の強さを知った。また、同時にコールドウェルの短編も英語で読んだ。好きな作家だった。懐かしさと、この時期は文学作品とする価値観が、不動のものであったことを思う。
発行者=〒346-0035埼玉県北本市西高尾4?133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:私人

「弦」102号(名古屋)

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2017年11月15日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「芸能史談―柳永二郎の名古屋地方の戦中慰問」下八十五】
 柳永二郎という俳優がいた。渋く重厚な風格のある脇役の重鎮という印象があった気がする。新派を主にした人物だとは、知らなかった。理知的な日誌の一部転載がある。戦時中に空襲による焼夷弾攻撃の合間に、舞台を続ける様子が、よくわかる。現在でも、北朝鮮のミサイル攻撃に備えてJアラートなどの対策をしている。いつの時代にも政府が、何を言おうとも、戦争に国民は対応しようがないことを実感させる。
【「指のあと」木戸順子】
 「還暦を1年遅れで祝う会」と名付けた高校のクラス会に出席し、昔の仲間と再会する。主人公の美穂は、夫を亡くし、夏子という娘が結婚相手を見つける。また、クラスメートで親しくしていた晋平との友達付き合いの時に、彼に強く抱きしめられ、身体に食い込んだ記憶を想い起こす。これらが40枚のなかに描かれている。ひとつひとつの出来事は巧みな文章力で、自然に読める。ただ、40枚にこれだけの内容を持ちこむので、味の薄さを否めない。
【「糠喜び」空田広志】】
 高齢者の生活感居を描いている。筆達者でいろいろな出来事を面白く読ませる。軽快な筆使いが絶妙。生活日誌を書きながら、筆が冴えてくるというのも、面白い現象である。
【「陰翳の男」山田實】
 陶磁器のデザインをする会社が、ベトナムに進出する。日本の陶器製造販売の細部がえがかれているので、面白い。それだけでなく殺虫剤を買いにスーパーに行くと、店内放送で、怪しい客がいるので、警備員は注意するようにという合図するような指示の声が流れる。男は、それは己のことかと、思い買い物の動きがぎこちなくなるところが意表をついて読ませる。
【エッセイ「枯木カリブ海に浮くーキューバ紀行」岡田雪雄】
 紀行文は、自己記録としては、意味が深いが、他人が読むと、それほど面白いとは思えないのだが、これはキューバの人々の生活ぶりを覗けるので、自分には興味深かった。キューバは、社会主義国であるが、米国の経済制裁でみんな貧乏。そこにオバマ前大統領が制裁を解除するとしたので、貧富の差がひらくのではないかと、心配されたが、トランプがそれを取り消して、やはりみんなで貧乏は変わらないようだ。そこから脱出したいと考えるのは当然だが、人間は格差が少なければそれだけ不幸感が減るということを示す社会のようだ。
【エッセイ「青年とカンボジアの未来」加納伸】
 これも紀行文の一種だが、短いが政治的な現状を反映した民衆の意識が表現されていて、興味を引く。
【「少年の死」フランシス和田】
 半島にある鄙びた漁村の少年と少女の一時期を描いて、終章で少年が首なし死体でみつかるという謎めいた出来事を語る。海辺の光景が、雰囲気良く調和的に描かれているのが、文芸的な味をもっていて、印象的である。
発行所=名古屋市守山区小幡中3丁目4?27、中村方。「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:

「文芸中部」106号(東海市)

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2017年11月 7日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「お願いですから」堀井清】
 主人公の自分は、80歳ぐらい。妻はすでに亡くなっており。結婚した娘が50歳になって、離婚し出戻ってきて同居。二人暮らしである。ここまで生きて、今後どうするという夢もない。なんとなく、無意識的にスーパーで万引きをしてしまったりしている。
 自分は、夫婦との健在で、息子夫婦と同じ敷地に住む境遇の友人を訪ねる。すると、孫が若い身の上で、もう結婚しようとしていることを気に掛けている。満ち足りた老後でも、それなりに悩みが生まれる。
 作者は、これまでも高齢者の置かれた立場をさまざまな生活環境に置いて、その精神を逐一描いてきた。しかも、同じようで、すこしずつ異なる設定のなかで、家族関係と社会的な存在の位置を普遍的に表現する。本作では、同居していた娘が、再婚でもするのか、家を出るという。そこで、80歳になっての一人暮らしが暗示される。高齢者視点小説の専門作家として貴重な存在であると思える。
【「カメだって反撃する」朝岡明美】
 「わたし」の高校時代からの友人の香澄が離婚したらしく、主人公の家に転がり込んで、何時の間にか居ついてしまう。おまけにカメまで飼って、わたしに面倒をみさせている。私には、大学時代からの男と交際していたが、彼がまた接近してくる。彼は香澄とも関わり合いがあった。わたしは、用心深い女とされているが、そこで彼の結婚申し込みを受けるかどうか考慮するところで、終わる。女性にの生活を描いて、その場、その場は読ませるが、わたしの人間的な在り方が良く見えなかった。
【「文学館のこと」三田村博史】
 愛知近代文学館建設促進委員会があって、前中部ペンクラブの前会長の横井幸雄氏が立ちあげて、三田村氏は理事にされたことからはじまる。その後機関誌「風の音」が創刊され、東海TV会長、春山行夫、城山三郎、杉浦明平たちが顧問になり、寄付などがあったが、同誌の勢いがなくなると、次第に文学館の建設から遠ざかっていく。その後の経過から、「愛知WEB文学館」のネットサイトを立ちあげたとある。収蔵物のデジタル化をしているという。
 杉浦明平宅には、戦後文学の雑誌10万冊、清水さん宅には、同人雑誌20万冊が、引き取り手がないままになっているという。
 読んで、さもあらんと、感じた。私も東京で、生前の浜賀知彦氏が、大田区の南部文学として活動したプロレタリア同人誌を2階に集めていたものだ
  その目録を作っていたのでそれをもらっていた。そのなかに安部公房や壷井栄の同人誌やGHQが接収漏れしたのではないかという物もあったようだ。保存のために、大田区の図書館に寄贈したいと申し出たが断られたという。その後、雑誌「現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史」で東京南部文学(地元では下丸子文化として知られる)の特集で浜賀さんを取り上げた。その後、収集した同人誌は駒場の日本近代文学館で引き取ってくれることになりそうだと、生前の浜賀さんが言っていた。
 さらに、不二出版が浜賀コレクション「東京南部サークル雑誌集成・編集復刻版東京南部文学資料」として3巻を刊行。当時の同人誌活動を残している。価格は、6万円と高価だが、資料価値の面で、全国図書館に置くべきだと思う。
  さらに、浜賀の話では、大森に住み、久保田正文氏(雑誌「文学界」の同人誌評を行った)の亡き後の、書庫の本は、区内の図書館に寄贈しているという。そこで、その図書館に、寄贈本を見たいと確かめに行った。しかし、係員は、そんなものは知らないという。そのこで、寄贈されたものは、どこに保管するのか、ときいたら、「これですかね」と別室の戸棚の下段にあるのを見せてくれた。雑誌「文学界」の昔の古ぼけたバックナンバーと2,3の書籍ががあった。おそらくそれなのだろうと思った。整理されていず、始末に困ってそこにあるようだった。
 現在は、図書館は民間に委託しているので、おそらく処分されているのだろう。所詮そいうものなのだろう、と納得した。
発行所=〒477?0032愛知県東海市加木屋町泡池11?318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:文芸中部

「星座盤」Vol・11 (岡山市)

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2017年11月 5日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「居川花火」金沢美香
 「私」の少年時代の鉄道ファンであった。カメラの鉄撮りでもあって、いつも寄っている無人駅にいくと、居川花火を見に行くという少女と知り合い、居川花火をみることになる。そこでの出来事は、幻想のように思えるが、その後、川で「私」の鞄が見つかる。少女は水死体でみつかったという話が伝わる。しかし、居川という川はないという。不思議物語だが、それだけのものか、ほかに意味があるのか、わからない。自分は、アクセントのない書き方は、苦手で受け取り方が難しい。
【「角打ちの友」清水園】
 居酒屋で立ち呑みをするのを角打ちというが、そこでの友達が亡くなったことから、「あいつ」と称してのその人の思い出を語る。一面的な表現で、工夫をしている。楽な書き方を選んだのか、書き手も、「あいつ」も人物に対する興味がわかないところがあった。
【「骨の人々」朝岡千昌】
 交通事故で死んだ妻のある恋人のことを想い、死者に会えるという島にきた様子を描く。
【「最愛のひと以外」水無月うらら】
 現代人の男女関係、社会生活のひとつのパターンを、文学趣味豊かな文章で描かれている。これは、「季刊文科」72号に掲載された「君は檸檬が読めない」の読後感も似たようなもので、こうした作風の積み重ねが、時代の標識として広まる可能性があるのかも知れない。
発行所=〒701?1464岡山市北区下足守1899?6、横田方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「星灯」第5号(東京)

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2017年10月19日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「支配からの逃走」渥美二郎】
 人間による人間の支配をテーマに、教師の立場から見た支配的な事例を上げて、自からの行為も検証する。まとまった物語の形をとらないので、エッセイ的に見えるが、こうしたテーマ追求の形も純文学の特性であろう。ドストエフスキーの「地下生活者の手記」の手法もあるので、こうした作風に注目したい。
【「ラスト・マン・スタンディング」野川環】
 桜井大は、40才を超えた中年だが、現在はマウンテンバイクを使って、故郷の実家に戻ってきた。原発とは距離があるのだが、放射能汚染は、ひどい。そのため妻子は、大と別れてしまった。過疎となった実家は荒れ果てていた。彼は、勤めていた会社の早期退職に応じ、マイホームを売ることで退職金を使ってローンを返済した。それが、妻の離婚の意思で、ローンと離婚の慰謝料に多くの金が消えてしまった。残った多少の金で生活するために、実家に戻るしかない。過疎地であっても近くに、老婆が住んでいた。その老婆もそこから出て行くという。大は、放射線汚染のその地で暮らして行こうと、決心する。
 原発事故を忘れることがあっても、放射能汚染はなくならない。放射能汚染を日常化させた試みは、意義があると感じさせる。地域の電気水道事情や、セイタカアワダチ草の繁茂する様子など、フィクショナルであるが、話を面白くさせている。
【評論「日本文化論の形成と発展―加藤周一論ノート(4)」北村隆志】
 加藤周一という評論家のものを意識して読んだ記憶はない。が、マルクス主義思想の社会階級論文学についての評論は読んだ記憶がある。ここでは、加藤評論の日本人の精神的風土論を紹介しているので、大変興味深い。知識人による日本人論として、宗教や万葉集、源氏物語を生み出した精神の底流の分析を紹介している。
 なかでも、日本人の現在主義と集団主義の意識について、積極的に論じている。そのなかで共産主義者のなかに、戦争に反対した人々が存在していることを強調している。
 現代のポピュリズムの世界的な流れのなかで、現在主義と集団主義という視点は、分類項としては、幅が広すぎるようにも思える。これらは、近代社会の流れから知識人による分析を紹介している。その意味で勉強になる。
 ただ、本誌の大変面白い座談会(渥美二郎、神村和美、島村輝、松本たきこ)「『騎士団殺し』メッタ斬り」で論じられているような問題。つまり、近代社会以後、ポストモダンの文学的な現象に向けた視点での評論を生み出すことが課題ではないだろうか。
発行所=〒182-0035調布市上石原3?54?3?210、北村方。星灯編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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