「文芸多摩」第9号(町田市)

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2017年1月13日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は「日本民主主義文学会・町田支部」の文芸サークル誌である。
【エッセイ「ヘルパーさんもいろいろ」木津和夫】
 高齢になって脊椎狭窄症でヘルパーに頼むことで生活を維持している。その折にやってくヘルパーの人柄を観察して、そのサービスぶりから性格を読み取る文章。書くという表現を強く意識してさらに細部を描くと、良い文芸作品展開への入り口になりそうな作品。
【「四十七年前の決断」木原信義】
  1967年にY市のH国立大学の教育学部体育科に入学した牧野雄介を主人公にした、過去と現在の思想と生活を記したもの。話は、その年に入学した同級生のクラス会に参加したことから始まる。その当時は、全学連の70年代の安保闘争の末期の混乱情況が残っていた時期。
 作品では、国立H大学での中核派や革マル派の活動ぶりが描かれているので、その後の情況が記録として読める。主人公の牧野は、大学での共産党系の民青に同調することになる。その後の大学内の学生自治主権を巡る争いで、全共闘系を排除し学生自治の秩序を取り戻す。そのことから牧野は思想を共産党と共にする。
 何十年ぶりに母校の同窓会に出席すると、在学当時の学内自治活動のことは、話題にもされず、病気と親の介護などの生活状況的な世間話しか出ない。牧野は、そうした雰囲気に浮いた存在に感じ、失望をする。このような光景は、多くの団塊の世代で見られる現象であろう。
 そうして、これまでの町内会の役員や日本共産党後援会、憲法9条を守る会、退職教職員の会などの役員をしている自分の社会活動に自信を深め、さらに現代の政治状況の右傾化に抵抗する意思を固める。短いながらも記録として、社会的価値に重点がある。主人公が自分の人生に自信をもつ根拠には、ヘーゲルとマルクスによる、社会が段階を経て発展するという歴史観に従って、その発展段階に参加しているという思想がある。そこに、ニヒリズムやデストピアに対抗するところがあると見るべきであろう。
【「メイコの選択」原秋子】
 メイコという小学四年生の視点で、日常生活を描くもの。童話的な面白さをもつ。後半二部での、物の見方について、メイコが自分の考えを主張するところに関しては、ぎこちない。親が子供に説くようなことが、逆になっている。誰に読ましたいものなのか。思想の伝達法の検討をして欲しいところ。
【「転機」大川口好道】
 英治は戦争中の米軍の空襲爆撃を逃れて疎開していたが、高校を卒業して、絵画を学びながら働き場所を求めて、上京してきた。
 時代は、戦後間もなくの敗戦復興の時期であろう。高校時代の同級生のつてで、菓子メーカーに就職する。大企業製菓会社の下請けの作業の実態がリアルに描かれている。おそらく体験が反映されているのであろう。そこでのトラブルに巻き込まれてしまうが、なんとか会社を馘首させられずに済む。作者の真の意図は、判らないが、当時の労働力を商品とするなかでの、不自由さが描かれたプロレタリア文学としての訴求するところは、伝わってくる。
【「峠を乗り越えて」佐久健】
 定年退職した仲間たちで、ホノルルマラソンに毎年参加してきたが、今回は古希の仲間が2人もいるという。その様子を子細に描く。高齢なのにホノルルまで行ってマラソンをするという状況に驚かされる。「マラソンルート」と「人生の峠を越える」という現状への忠実なレポート。伝えたい意気込みが感じられる。目下の人生の主眼がマラソンをして元気でいることであるのはわかる。マラソンレポートから良き文芸にする方にも、精進をして欲しいものだ。
発行所=〒194?0015町田市金森東2?26?5?111、大川口方。日本民主主義文学会、東京・町田支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

2017年1月12日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「太陽の塔」住田真理子】
 1970年の大阪万博の開催の時期、主人公は12歳であった。その頃、母親は万博見物に出かけるために、ショートパンツで行くつもりだったが、太ももの痣が隠せないので、諦めてスラックス系にする。
 万博見物にうかれているうちに、岡本太郎の太陽の塔の作品を目の当たりにして、母親が気分を悪くして倒れてしまう。母親が、太陽の塔に表現されたものなかに、人間の残酷さや悲惨さ、暴力的に崩壊させられる暗黒的側面の意味が含まれていることを読み取ってしまったのだ。それが、母親のトラウマを直撃する。
 そこから母親の太平洋戦争の空襲の出来事の独白に入る。女学生たち全員が海軍工場で作業に駆り出されていた時に、米軍爆撃機の攻撃にあい、みんな逃げまどうが、運命の紙一重で、生死がわかれてしまう。ことに母親の友人であったカヨちゃんは、身体を破壊され、奇跡的に助かった母親の腹の上に重なって絶命する。母親は、その時に腹と太腿に傷を負ったのだった。母親もしばらくは、行方不明者のなかにいれられていたが、やがて発見され命は助かる。カヨちゃんの家族は、カヨちゃんが、どこでどなって死んでいったか、知りたがるが、母親はあまりの悲惨さに、事実を語らずにいるという話。また、その語れないということも深いトラウマになっているのだ。
 岡本太郎の太陽の塔の表現の奥深さ。私は取材であったが、新婚間もない妊娠中の妻を伴って、万博に行った。塔のエネルギーの強さが、ある圧迫感で迫ってきたのを記憶している。
  太陽の塔の人間の業の裏表の存在を浮き彫りにする迫力と、母親の過去の悲惨な体験を娘に記憶させるという、重ね合わせた手法は迫力と説得力がある。
 芸術はゲーテ「若きウェルテルの悩み」やピアフのシャンソン「暗い日曜日」のように、若者をたち自殺にさそうほどの力をもつことがある。
 現代は、ピコ太郎の「PPAP」のような、視覚とリズムに強烈に訴える刺激の強いものがあふれる。そのなかで、文章による視覚的効果への挑戦として、よく計算されている。
 ほかにも、現代風俗に絡めた作品があって、触れる気であったが、今回はこの作品で充分と思った。襟を正さねばという思いがする。
 なお、編集後記のなかで、善積健司氏が2016年(原文は2017年となっているが気が早すぎる)9月の第4回「文学フリマ大阪」が開催され、雨天の中2000人が来場したことや、100部以上売り上げた同人誌の存在もあることを報告している。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通り2?4?10?203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

「クレーン」38号(前橋市)

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2017年1月 5日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 【「ライン作業者」和田信一郎】
 わずか7頁と短いが引き締まった掌編に成っている。ヨーグルト容器を作る現場の記録風の描写が続く中に、作業員たちの会話を織り交ぜている。生産点の日常を覚めた筆で実写する事で訴える文章である。外国人労働者が、ごく普通に就労する単純労働の現場。作者は淡々と事実を提示するが無機質な痛みが伝わって来る。
 日本資本主義の底辺を支える労働者群。その内実を表現する事の意味を読み取れるか戸惑いながら鑑賞した。 井上光晴の薫陶を守る和田さんの真価を見定めようと三度も読み直した。       
発行所=〒371?0035前橋市岩神町3?15?10、「前橋文学伝習所」わだしんいちろう方。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

カテゴリー:クレーン

「白雲」43号(横浜市)

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2017年1月 5日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 新年早々から今年完成の同人雑誌が続々と届き出しました。先ず「白雲」43号と「クレーン」38号の二つの雑誌を紹介します。この二誌の代表者とはかって関東同人雑誌交流会で知り合って以来毎号発行毎に同人雑誌交換して来ましたので気合いを入れて読んだ。
 ☆「白雲」43号☆
 短歌俳句の会が小説も掲載するようになったらしい体裁なので70頁の前半が短歌・俳句で公判が随筆と小説です。 小説は二編です。
【「少年?の回想記」穂積実】
 少年の目で書いた昭和初期の様子が33回に渡り連載中です。
【「快男児・喜楽」山本道夫】幕末明治初期に活躍した茶道・華道の達人の実話らし行動記録がつづられている。
 会話も多く活気のある文章だ。喜楽と親交のある勝海舟筆の幟旗の写真も掲載されている。連載20回目である。
 10頁程度の連載2編と紀行文や随筆が30頁を埋めている。窮屈な編集に成っている。
発行所=〒233?0003横浜市港南区港南 6?12?21、「白雲の会」代表・岡本高司。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

「風恋洞」44号(秦野市)

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2017年1月 1日 (日) (*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌はfriendという副題を持つ。編集の狙いはサイト<作家・小野友貴枝の広場>にも記されている。
【「久美子の家族」小野友貴枝】
 久美子が結婚した娘の家庭に出入りし、孫と交流する過程でのさまざまな出来事と想いを記録している。もし、結婚して家を出た娘の家庭と関係を持っている人たちが、これを読んだら、生々しい記録ぶりに共感か、もしくは反論をしたくなるであろうと思わせる。書かれたことの社会的意味づけを理解することなし、この作品の面白さは理解できないかもしれない。教科書的な意義をもっている稀有なものと思う。
 登場するのは、久美子の娘の珠江と孫の二人、それに夫の姿が少しばかり見える。すべて久美子の視点をもって、描かれている。そして長女の珠緒と一緒にいると、「触れている部分がなんとも言えないざらざら感、そこから緊張感が流れてくる。自分の娘でありながらこれは何だろうと思う。そしてその異物感は、いつからどのように感じ始めたのかわからない。物体でなく、感じるものなので、具体的に説明しようがない」
 まさにその感じが、その周辺が鮮やかに切り取られている。作者の書く意欲が、随所に象徴的な意味をもって、読者に迫るのである。当然、その事情に解決はない。
【「息子と私」盛丘由樹年】
 父親「私」から感じた息子との関係である。息子は、しばらくの間、独居して社会生活をしていたが、何かの理由で、両親の家にもどり、就職しないで生活をしている。運転免許も更新しない。いわゆる引きこもりに属する状態なのであろう。
 「私」は、そうなった原因を、自分と息子の間に何かがあったに違いないと、親子関係のこれまでを、少年時代からさかのぼって、回想し点検する話である。
 息子は、「私」が会社からいわれて50代で希望退職した時期に、東京のアパートで一人暮らしをしていた。息子は、高校をでたと同時に漫画家になるのだといって、家を出て独り暮らしを始めた。あとから、漫画家志望というのは、家を出る口実であったのかもしれない、と「私」は、推測する。「私」は、息子の将来を案じるが、それは息子自身に委ねるしかない――。そしてこの問題にも解決はない。
 文学においては、人間性を掘り下げるために、また認識を深めることに面白さを求める。痛快な活劇を観たり読んだりする面白さではない。本誌の2作品はその意味で、事情を読者に投げ出して語り、その認識を問いかけるというスタイルは、ありそうでなかった文芸同人誌の新しい道を拓く可能性をもっているのかも知れない。
発行所=〒257?0003秦野市南矢名1?513?4F,小野方、「秦野文学同人会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

2016年12月31日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「新時代を迎えた文芸同人誌」木内是壽】
 文芸評論として、明治期にはじまった文芸同人誌と商業文芸誌との関係、近年の国文学系の学術誌などの廃刊、休刊の時流に触れる。そのうえで文芸同人誌の全国組織として、森啓夫氏の「文学街」、五十嵐勉氏の雑誌「文芸思潮」などの活動を記す。
 さらに現状としての文学フリーマケット「文学フリマ」が東京において、600グループ、大阪で300グループの市場が生まれたことが記してある。じつは、ここでの「文学フリマ」というのは、過去の話。すでに同人誌だけの市場ではなくなり、現在は文学作品のフリーマケットとなっている。市場としての機能も、12017年早々の1月22日に京都、3月には前橋、4月には金沢、5月には東京と、ほぼ毎月のように全国の各地でフリーマーケットが開かれ、合計で3000を超える文学グループが作品を即売するようになった。
 これは「作家は個人という存在」意識の高まりから、単行本が多くなり、1日で100冊以上即売するという一般書店顔負けの強い市場力をもつようになったことによる。いまや「文学フリマ」は同人誌もある文学市場になっているのである。また、ここでの同人誌は合評会というのをしない傾向にある。価値は見知らぬ読者が買うことで決まるからである。
【「工場と時計と細胞」外狩雅巳】
 この作品は「詩人回廊」サイト(外狩雅巳の庭)にシナリオ風に断片的に執筆したものを、作品としてまとめたものである。
 形式としては、プロレタリア文学的手法で、工場労働者の労働実態が活写されている。舞台は大田区の外資系ゲーム機製造工場の労使対決の一場面である。
 話は小さな町工場を転々としてきた労働者が、日本の高度経済成長の途上で、ある程度経営基盤のしっかりした中堅企業に入社し、時代の波に乗って大企業になろうとするなかで、働く機械として非人間的な状況に置かれてゆく労働者の権利を確保する組合づくりの過程が描かれている。特に大田区は、共産党の活動拠点として、労働運動が盛んな時代が長く続いた。
 その時代の状況を多摩川に沿った大田区という工場地帯の雰囲気を烏の眼として俯瞰的にとらえている。さらに企業内でのベルトコンベアの流れに組込まれた工員たち、会社からの指令を実現する管理職という、それぞれの視点から描き、組合結成を阻止しようとする側。組合結成によってストライキ権を確保する労働者の立場を描いている。日本の資本主義社会の製造現場が歴史的な一場面として、ドラマ性をもって描かれているのは、興味深い。本作品は、自分の表現しようとしているものの形がつかめない段階で、まず「詩人回廊」に書き起こした。そして、その自分の表現したいものはこうではないかと、まとめたということになる。その意味と表現法の追求行為がともなうゆえに文学作品たりえるのである。すでにわかっていることを、その通り書いても、それは線を引いてあるものに色を塗るだけの「ぬり絵」に過ぎない。ぬり絵を美術だという人は変人である。
 プロレタリア文学には、芸術的価値と社会的価値の双方が要求されることから、その姿も変化してきている。
 偶然かどうか、作者が「詩人回廊」にメモ風に書きとめ、構成などを推敲している間に、雑誌「民主文学」の17年1月号に、仙洞田一彦「忘れ火(連載第1回)が掲載されはじめた。この作品を読むと、地域性や企業の製品などからして、同じの企業でしかも、この企業が大企業に成長したのちの舞台設定である。ここでは、主人公がリストラとしてクビにされないが、窓際族として処遇されるような予感をさせるもの。おそらく、企業内組合活動で標的にされた男の戦いが描かれるのではないか。合わせて読むのもひとつの趣向であろう。
発行所=相模原市中央区富士見町3?13?3、「相模文芸クラブ事務局」担当・竹内健。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:相模文芸

「奏」2016冬号(静岡市)

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016年12月24日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  本誌には、「新資料・小川国男『藤枝教会史』」(解題/勝呂奏)が掲載されており、興味深かったので、自分なりの意義を「暮らしのノートITO」に書いた。
【「屏風のような」小森新】
 話は井上靖文学館での米神礼三館長と企画展での交流と館長の突然の訃報を知るところから始まる。そこから、作者の父親の死に目に会えなかったことへの感慨が語られる。これを読んで気づいたのは、肉親との死別の事情を語ることは、その人の境遇や人生の一断面を浮き彫りにするということである。この作品では、父親の死期が近いことが分かっていても、予めそのための準備のような行為をすることをためらう心理が描かれている。そして、死別に立ち会えなかった、やむ得ない事情があったのだが、心残りの気持ちを独り胸の内にしまっておく。米神館長と父親への想いを表現する。――作品の読者としての自分の父親への思いと、比較したりした。自分の場合、父親にとって悪い息子であることを、晩年の介護生活のなかで自覚があったので、今のところその罪の意識に変化はない。
【「芹沢光治良『感傷の森』論」勝呂奏】
  芹沢光治良の作品「感傷の森」の敗戦後の日本人の精神の支えを意識して書かれたことを評している。太平洋戦争の責任、敗戦の責任追及の精神よりも、戦後を生き抜くことへの努力に重心がある作品のようである。これは、やはり人間の愚行を飲み込んだ宗教的な精神が働いていたのかも知れない。
  昨年だったか、都内の図書館で、ご自由にお持ちくださいの棚に、芹沢の全集の茶色のようなクリーム色のような本が並んでいたのを見た。これも時代というものだろう。
【「小説の中の絵画(第5回)太宰治『きりぎりす』―『私』の言葉」中村ともえ】
  太宰治の女性の独白形式1人称小説に関する評論。内容とは異なる受け取り方かも知れないが、太宰の表現力の多彩さ、巧みさなどがわかり、小説はまだまだ技術的な可能性を多くのこしているのではないか、という気持ちになった。
発行所=〒420?0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

カテゴリー:

2016年12月21日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 「海」は第二期なので通巻では84号となる。九州では文学的歴史をもつ文芸同人誌です。今号では高岡啓次郎「書斎の雨音」に目が留まりました。主人公の姉が結婚後も夫との不仲に悩む姿を描写している。幼少時には母親代わりに主人公等の兄弟の面倒に奔走し婚期が過ぎそうなので見合い結婚をしたが料理人の夫とは理解しあえず苦労した末に先立たれる。その葬儀に北海道から関東まで出向く。読み進むと心象風景と実際の風景との対比が迫ってくる。雑誌「文芸思潮」での入選作品を加筆して掲載したそうである。授賞式で見た高岡氏は若く溌剌とした文章力を反映させるような人でした。
 高岡氏は、九州の同人誌にも参加して掲載する多忙な人気者です。どれも、水準の高い安定した作品を続々と送り出しています。
 「海」(第二期)誌の主宰者である有森信二氏とも「文学街文庫」で共に掲載した事も有り毎号必ず贈ってもらっています。 今後も遠方でも同人誌活動に励む知人とは励まし合っていきたいものです。
 編集発行人=〒818?0101大宰府市観世音寺1?5?33(松本方)。「海」編集委員会。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

カテゴリー:海(第二期)

2016年12月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は文学同人誌という通称をしているのを、どこかで目にしたことがある。それが印象深いのは、内容が文学的な芸術性をもって粒ぞろいであることだ。その意味で、概要を<暮らしのノートITO>に掲載した。
 文学同人誌と文芸同人誌のどこが違うかというと、文芸ーーの方は、文学性の強い作品と、ただの生活日誌的な作文や娯楽小説とが混在していることであろう。それはそれなりに、社会の世情を反映した親しみやすさをもたせる良さがある。しかも同人会員として、出版費用の負担をすることの支援になるわけである。
 読書愛好家専門新聞などの文芸同人誌評などは、その膨大な作文の類を分け入って文学的な意義のある作品を選び出しているようだ。文学的な野心をもった同人誌でも、こうした作文や読み物との混在で、先鋭てきな文学部門が、埋没してしまうことが起きる可能性があるかも知れない。
【「蜜の味」新村苑子】
 描かれた土地は明確にしないが、土着性の強い風俗を土台にそれが「昭和46年11月中旬のこと」とまず明確にする。飲んだくれの夫と、障害をもつ長男元雄と暮らす主婦キクエの生活の貧困生活を描く。その中で、家出をした次男の光雄が、東京で身元不明で亡くなった男とド同一人ではないか、と警察から告げられる。どうのようにして東京に確かめに行く金を工面するのか。さまざまな問題を抱えるキクエの疲労した神経。そこで観る白日夢を描く。
 重みと粘りのある文体は力感に溢れ、作中で緊張感を生むような語りの構成が、物語の興味を生む手法として成功している。これが長篇小説の一部ではないかと、思わせるところもある。
 作者は「新潟水俣病短編小説集?、?」(玄文社)を刊行しており、「律子の舟ー新潟水俣病短編小説?」で2014年の第17回日本自費出版文化賞各部門賞・大賞の小説部門賞を受賞のほか、新潟県の文学賞なども受賞しているようだ。
発行所=〒945?0076新潟県柏崎市小倉町13?14、玄文社。
紹介者「詩人回廊」北 一郎。

2016年12月16日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 編集をしていた北原文雄氏(71)が、本誌を発行後に亡くなったことを知った。北原氏は農民文学賞受賞など数々の賞を受けた純文学作家。伊藤桂一氏が農民文学賞の選者をされていた時に、しばしばお会いした方である。ここでは、本号の編集後記として、同人作家の作品紹介を行っているので、その部分を抜粋編集させていただくことにします。「淡路島文学」」と同人への深い愛情が心にしみる紹介文と思います。
【一根一乗さん「淡島暮色」】
  架空の市民病院事務官を定年退職した加藤俊策の目をとおして、市民病院のあり方を問う一方、加藤家の祖父が東京から鐘紡S工場へ赴任したころからの、加藤家と鐘紡S工場とS市全体像を傭瞼的に浮かびあがらせる。筆者は医師であるから、病院の運営のあり方や医療施策に詳しいのは理解できるが、主人公俊策を書家と設定し、その書への造詣の深さに驚いた。妻瑛子と俊策の微妙な関係がなかなかおもしろく読ませる力作。
【宇津木洋さん「夕暮れの雲」】
  最近忘れ物が多くなったと主人公が述懐し、認知症が始まったのではないかと思われる事象を数多く語る。これが軽妙な語りで、「昔から自分はこのていどに迂闊でぼんやりしていたという思いがある」に至っては、同感して吹き出してしまう。ユーモアたっぷりの作品である。
【鈴木航さん「宗一郎の後悔」】
  高校から大学時代の宗一郎・圭太・華の交友から、華が圭太を選び結婚したが、圭太は一年後交通事故死するまでを描く。葬儀前に華と会った宗一郎は、圭太の人間像を知る。恋仇の圭太に酷い仕打ちを後悔する話しであるが、若者らしい会話と感性に新鮮さを覚える作品である。
【長木玲子さん「猪尻侍の逃避」】
    地域史を踏まえた長木さんの連作の一つであるが、語り部にマキと山家を登場させながら、徳島藩家老の稲田家の歴史的物語への関わり方が筆者の目で書かれている。マキと山家を有効に動かすべきであったと読後思った。
【芳谷和雄さん「サイパン紀行」】
  近くの農家の男性で、よくお世話になっている先輩である。同人ではないが、父親の戦死したサイパン島へ慰霊の旅に出かけた。その土産に添えられた手紙であるが、胸を打つものがあったので、本人了解を得て掲載させていただいた。
【大鐘稔彦さん「歴史小説と取り組んでーその余話(抄録を兼ねて)1」】
  3月に出版された三千枚の長編小説『マックスとアドルフその拳は誰が為に』上・下本の執筆裏話である。7月9日、なごやかな出版記念会をしたが、そのお礼まで書かれていて恐縮である。
【樫本義照さん「灯明はいずこに」】
  友人澤田と、癌治療中のその妻節子の夫婦愛を理解出来にくい石本をとおして、人の生涯を見つめる物語である。筆者の分身らしい石本が、これまでの作品とちがって、坦々と描かれる場面が多くなっているのは、筆力を大きく向上させたと言ってよい。
【野崎俊さん「徒然入院の記」】
  お酒をこよなく好きな主人公の、お酒の失敗談が多く語られるが、お酒好きの者ならだれでも共感できるものをもつ。失敗を重ねながらも、体調を崩しながらも、悲壮感がないので、かえって面白い軽妙な作となっている。
【植木寛さん「亜利婆と玄五郎丸」】
  後期高齢者夫婦の、よか夫婦振りを描く。大晦日に正月から夫婦で互いの呼び名を、夫玄太は玄五郎丸、妻亜利子は亜利婆と決めて元旦を迎える。近親者が次々に他界していく悲哀を描きながら、この夫婦のありようは、随所におかしみを感じさせる好篇である。
【北原文雄「朝の夢」】
  ある朝のはしたない夢のお話しに、庄一の日常の断面を切り取り描く短編。
【藤井美由紀さん「緑の庭」】
  スナック経営の姉遙子が癌闘病のうちに亡くなり、妹志帆が横浜から帰り、淡路島のスナックを継ぐ。幼くして海難事故で両親を亡くし、年の離れた志帆は姉遙子に母代わりとなって育てられた。姉妹の確執もあったが、病気の介護の中で認め合うようになる。店の名「緑の庭」の命名のいきさつを、ストーリーテーラーらしい巧みな謎解きで、読ませる作品である。
  ▼松下利明さん、橋本正信さんの二人の詩人が本誌にいて、小説作品だけではない文芸同人誌を発行できることを幸いに思っている。合評会をたのしみにしたい。
  ▼追悼「二人の先生」は、本誌の支援者である溝上眼科院長溝上国義先生と、倉本皮膚科院長倉本昌明先生がこの一年で、つづいて亡くなられた。急遽三根一乗さんに執筆・をお願いして、掲載できた。ご冥福を祈念申しあげたい。
  ▼本号は三根さんと藤井さんの作品以外は短編特集のようになった。最近は?頁近いのが常であったが、12号は150頁ほどのものとなった。感想批評をお寄せいただきたい。(北原文雄)
発行所=淡路島文学同人会。〒656?0016兵庫県洲本市下内膳272―2、北原方
「淡路島文学」12号について神戸新聞2016年9月10日付けにおいて北原文雄氏へのインタビュー記事にしています。

カテゴリー:淡路島文学

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